平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

石を売る男  2009/12/02

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写真のアンモナイトはそんなに上物ではないが、それなりの大きさはある(わたしの掌は相当大きい)。今も手元にはいくつかの「Sアンモナイト」で手にれた化石がある。


もう十年ぐらい前の話である。
わたしは、静岡県の西にある小さな町を自動車で走っていた。特に目的があったわけではない。掛川市から静岡市への帰り道で、単にそこを通過していただけである。実はその風景は見慣れた光景であった。というのも当時は仕事でよくその道を通っていたからだ。だが、その日は少しだけ違っていた。たまには、裏道でも通ってみようと思ったわたしはハンドルを、細い道、裏道、脇道へと切っていった。
するとある光景がわたしの目に飛び込んできた。人もあまり通らない裏道のまた裏道に、なにやら雛壇が設けてあって、そこを通る人になにかを見せているのか、販売しているようでもあった。胸騒ぎがしたわたしは、路肩に自動車を駐め、その雛壇を見に行った。
するとどうだろう、そこにはつげ義春の漫画「石を売る」のようにある老人が石を並べて売っているではないか。水石か。いや、よく見るとそれは膨大な化石であった。しかもすべて上質の化石である。アンモナイトが八割以上を占める。なんでこんなところにこんな上質な化石が・・・わたしは唖然とした。そもそもこんな田舎の裏道でいったいだれが化石など買うのだろう。
老人は、わたしと目が合うとチラシの裏紙にスタンプを押しただけの「ショップカード」を差し出した。そこには「Sアンモナイト」(Sは老人の頭文字)と書かれてあった。後から判ったことだが、この当時既に90歳を超える老人は、なんと博物館に納める化石類を研磨するのが生業だった。ここに並べてあるのは、その残骸か。いや、残骸ではない。研磨の技術はさすがとうなずくモノばかりで、化石そのものもかなりグレードが高い。北海道産だ。中国産も少し混じっている。
わたしはさっそく物色を始めた。あれも欲しい、これも欲しい。たちまちわたしは十個ばかりのアンモナイトを抱えていた(実際には、とても抱えきれるモノではない。雛壇から少し離れた地面に並べて置いた)。
「ほかにもあるんですか?」 
わたしは何気なく老人に訊いた。
「もちろん」 老人は静かに頷いた。
「見せてください」
老人は少しためらっていたが、そのうち仕事場に連れて行ってくれた。といっても、すぐ隣の小屋なのだが。
部屋は長細い十畳ほどのスペースで、湿り気があってほの暗い。何かしら独特の匂いもする。そんなことよりわたしを釘付けにしたのは両棚、床、至る所に並べてあるおびただしい数の化石だ。それらの多くは博物館に納める「商品」らしい。わたしは形のよい大きめのアンモナイトを手に取りこう云った。
「これ、譲ってください」
老人は答えた。
「それは○○博物館から頼まれたモノだからだめだ」
粘るわたし。
「来月には納めるモノだ」と老人。
一歩も引かないわたし。十分ぐらい交渉が続いただろうか。
「・・・いいよ、そんなに欲しければ」と老人がいった。
商談が決まると老人は、恩に着せるでもなく、スーパーマーケットの白いビニール袋にその化石を入れてくれた。質の高い化石とスーパーマーケットのペラペラの袋、そのアンバランスさにわたしは少しおかしくなった。袋の中ではち切れそうな北海道産まれのアンモナイト。その化石のいくつかはまだわたしの手元にある。
「Sアンモナイト」 わたしは今、チラシの裏側にスタンプされたその「ショップカード」を探している。そうして、また近々その老人を訪ねてみたい。あれから約十年。存命であって欲しい。


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