平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

大切なのは「その先」の提示である

nisimura


◆作家 西村滋先生(第二回ノンフィクション賞、第七回路傍の石文学賞などを受賞)の児童書『戦火をくぐった唄』(講談社)の出版記念パーティに呼んで頂く。装幀もとてもすばらしい貌をしている。
今回は(も)、齢84歳の底力ともてなしに存分に遊ばせていただく。いったいどちらがもてなす側なんだ?! (西村先生には普段より本当によくして頂いている)。
それにしても何だろう、この疲れを知らないお年寄り(失礼)の底力は。記憶を手繰り寄せれば、日高敏隆先生や白川静先生なども、いったんスイッチが入ると息を継ぐ間もなく、話して話して話して話し続けていた。「今ここで話したいことが山のようある」、そういう力であるとしか言いようがない。

わたしの隣の席には東良子さん。東さんは、俳人として、またその選者としてつとに知られた人物である。

   夏の月双魚となりて泳ぎたし(『遠嶺』より)

   孤心とは湖上に仰ぐ夏の月(『遠嶺』より)

東さんは、いつお会いしても消え入りそうな声でお話になる。
「いいですね こういった手作りの出版記念パーティは  くすくすくす」。口元から30センチ先に言葉を置くように話される。
版元である講談社の大竹さん(お久しぶりです!)や今回『戦火をくぐった唄』の担当をされた阿部さんも西村先生のもてなしに大満足のようである。
本来祝ってもらうはずの側が徹底的にもてなす。この視点がとにかくすばらしい会であった(やられた〜!)。




◆スノドカフェで静岡県立大学の写真部による写真展とトークションを楽しむ。テーマでありタイトルは『iro- ぼくと、わたしと、色と。静岡県立大学写真部しゃしん展』とある(しゃしん と平仮名にした理由は聞きそびれた)。
会場からのつっこみやコメント、進行役の柚木さんの運びが実にいい。発表者と会場がひとつになっている感じがする。展示作品の一点一点と向かい合えば、シャッターを切った者の思いがそれぞれきちんと見える。
ただし、ここで考えておかねばならないのは、テーマの設定という問題である。「そもそも論」だ(作品はよかったけれど、敢えて書いておきます)。
わたしが思うに、「わたしと色(と)」では、もはやテーマとして成り立たないのではないか。「わたしと色(と)」といえば何となくテーマが成立してしまったように思えるが、果たしてそうだろうか。それぞれがそれぞれの色との関係を作品として持ち寄ってひとつの場を共有すれば、ひとつの作品展が成立するのだろうか。
それぞれの色を持ち寄る。そうして、大事なのここからで、更にその先に見える(まだ見えない)色とは何かというレイヤーが提示されないと、これはみんなでひとつの場を共有する意味がないのではないか(別に会場費を割り勘にしたかったわけではないでしょう)。この問題を突破できればこの作品展はきっともっとよくなったに違いない。
それは何も色だけの話しではない。百何人かが揃って行われる「時間」についてもまったく同じことが言える。前述の写真展は大学の写真部の仕掛だからまだ慣れていないとも思えるが、後者はプロの仕業である。期待して会場に足を運ぶことにしたい。お手並み拝見。




◆静岡県舞台芸術センターの野外劇場「有度」で26日に行われた「K`s pro ダンス公演 MoNochrome ViVaCe」(チラシ表裏で大文字小文字の表記が統一されていない)を観る。
バレエをベースにしながらのモダンダンスを観ながら、かつて自分が長い間学んでいた空手(松濤館流、和道流、極真空手)について深く考えるきっかけとなった。たまたま会場でいっしょになった静岡大学の先生とご一緒させて頂きながら、現代思想や身体感覚の話しで最初から最後まで盛り上がる。いずれどこかでまとめて話しをしたいテーマである。





◆近くで落雷。続いて救急車の音がする。何事もなければよいのだが。


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