遠藤作品と偏頭痛と生き物と皆既日食と
◆アーティスト遠藤加奈さんにブローチをつくって頂く。
遠藤さんはもともとこの作品をブローチとして創っていたわけではない。しかし遠藤さんの作品を拝見していたら、これを胸元につけたらきっとおもしろいとだろうとおもい、その場で相談に乗って頂いた。
そうして待つこと数ヶ月、先日遠藤さんからプレゼンテーションがあった。
どれにしようかと、散々迷う。
けっきょく一番最初に選んだもっとプリミティブな作品に決めた。
◆このところ酷い偏頭痛と胃の鈍痛が続く。EVE QUICKとガスター10にお世話になりっぱなしである。原因はわかっている。
◆生き物と係わるのが好きである。料亭の水槽を眺めれば、美味しそうだな〜と思う前に必ず自分がそこを泳ぐ魚を飼っているところを想像する。
魚屋で「どぜう あります」という筆文字を見れば、お店から生きたままどのようにして持ち帰ろうかなどといった想像もしてみたりする。事実昨年までシマドジョウを数匹飼っていたが、水替えのときの水槽を傾けすぎてうっかり排水溝に流してしまった(本当に申し訳ないことをした)。
ところで、ドジョウは歴史的仮名遣いでは「どぢやう」「どじやう」が正しい。それを「どぜう」と綴り直したのは浅草で200年以上も暖簾を守っている「駒形どぜう」 初代越後屋助七であることは有名な話。彼は江戸の大火(1806年)で店を全焼したのをきっかけに、四文字表記では縁起が悪いと三文字に直して三枚布の暖簾に「ど・ぜ・う」と記した。これが後に全国に広がることとなった。これは雑学。
また四万十川の天然うなぎも飼っていたことがあるが、こちらは鉛筆の芯ぐらいの大きさで購入してきて、鉛筆の軸の約二倍の太さまで育てたが、ある日水槽を覗いたら昇天なさっていた。南無阿弥陀仏。
そういえば、この文章を書いていて思い出してけれど、わたしが保育園に入ってまだ間もないころまでは、我が家でも牛を一頭飼ってた。といってもこれは記憶としてほぼ残っていない。牛小屋をバックにわたしが写っている小さなモノクロの写真一枚だけその事実を伝えている。と書きつつ、だが頭の隅っこにほんのわずかだが牛の輪郭が残っているような気もする。あの牛はどこへ行ったのだろう。いつ間にかいなくなっていて・・・微かな記憶では、ある日トラックに乗せられ家を出て行くところを・・・・だがそれは小説とか映画とか、絵本のワンシーンをあとから勝手に自らの思い出と重ねているだけかもしれない。
それから一本の杭に粗末な紐で結びつけられた痩せこけたヤギもいた。この事実は、ではその後どうなったのかというと、遠い過去へとグラデーションをつくって消えていく。どこへ行ってしまったのだろう。
鶏は年老いて卵を産まなくなると決まってジイちゃんが捌いて、その夜のご馳走となった。
生き物を飼うという行為には、いろいろな考え方があるだろう。自然界に生息している動物を飼うとはけしからん! 人間のエゴだと叱る人も、なぜか植物なら植生を問わず自分の庭に植えていたり、冷暖房のよく利いた部屋に切り花として並べていて平気である。外来種に怒りの拳を振り上げる人も、なら麦や米はいったいどこから来たのかと問うと、舌頭突端に切れ味が悪くなる。
植林もDNAレベルでみればとんでもないことになっているそうで、いやいや、そんなたいそうな例を挙げずとも、都心の植林では本来いないはずのセミが大量発生している。外来種だけの話ではない。
更にここに民俗学を持ち出すとややこしく?なる。牛や豚、犬や猫、ペットと食用獣との境は一体どこにあるのか。こういう問題を調べていくとすぐに待っているのが、動物を解体する「ある種の人々」の問題である。カウボーイをなぜカウマンとはいわないか。こういったところにヒントが隠されている。
ある雑誌に掲載されていた一枚の食用牛の写真を見て、とりとめもなく考えてしまった。
◆本番前にカムカムレモンを頬張ったせいか?本番がカミカミだった(汗 すみません)
そこでフォローのコメントを。
皆既日食は、太陽と月が重なるその分部だけを見るのではなく、360度夕焼けとなり、急激な温度の変化もあり(季節や場所によっては10度も下がる)、虫の音や鳥の啼き声などにも耳を傾けるのがいい。天体ショートとは五感で感じるダイナミックなものである。
ちなみに前回地上で観測できたのは46年前、次は26年後である。
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