対話編
◆学生Gさんに撮ってもらう(7月13〜17日まで、静岡大学 大学会館に於いて写真部有志の展覧会があるそうだ)。
きょうは学生Mさんにも古いポラロイドカメラでportraitを撮ってもらったが、そのアート写真(笑)は残念ながらわたしの手元にはない。
◆若き才能と話をしていると、とても刺激を受ける。きょうも何人もの学生が入れ替わり立ち替わり訪ねてきてくれたので、読書の話、写真の話、師匠の話、研究の話、ゼミの話、アートの話、そうしていつもの誤読の話と、とめどもなく話をする。
人は対話を繰り返すことで、自分の立ち位置を再確認し、微調整をしていくものである。あるときには若きの才能の台詞で、引き潮によって足下の砂といっしょに体ごと持って行かれてしまうような驚きも体験する。お礼を云わなければならないのは、いつもこちらの方である。
◆読書とは、視覚、匂い、頁を操る音、指先や掌から入ってくるわずかな情報の総体である。なぜ京極夏彦の本は、上・中・下巻の分冊で読むのではなく、分厚い「一冊の本」で挑んでいくのかというと、その総体的身体感覚こそが読書そのものだからである。『細雪』も文庫本の上・中・下の分冊で読む場合と、全一巻のボリュームを両の掌に抱えながらテキストに向かうのとでは、谷崎潤一郞の醍醐味がまったく変わってくるものだ。
テキストだけ読めればそれでいいじゃないか。全一巻で読もうが上・中・下の分冊で読もうが変わりはない。そういう人は、今更ではあるが、無料の「青空文庫」http://www.aozora.gr.jp/で読むことをお勧めしたい。おおくのテキストの用意がこのサイトにはある。
◆妖怪がぞろぞろと動き出す季節である(本当は妖怪に季節はない。妖怪は冬眠しません)。まさかわたしがコメントを?(笑)
◆さて、今から静岡大学の学生「下関から来たよ〜ん」の秋枝伶子さんがパーソナリティーを務めるラジオ番組を聴いて、明日の(もう、きょうだ!!)の講演の準備である。眠っている時間がないぞ!
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