平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

活きたお金の使い方(※書きっぱなし。あとから筆を入れます)

mori

文学的な日本平の雨の森






羽鳥書店http://www.hatorishoten.co.jp/の糸日谷智さんという方も推薦していたが、西原理恵子の『この世でいちばん大事な「カネ」の話』(よりみちパン!セ 理論社)は、身近にあって、だが普段の生活の中でその価値すら話題にならないという奇妙なお金という存在に対して、真っ向から勝負を挑んだ本だ。
ところがこういった本とは別の流れをつくる「お金本」の売れ行きが最近特に好調らしい。いわゆる金儲けの本である。まず雑誌の特集がこぞってそうだし、書店のビジネスコーナー、特にマネーの関するコーナーはかつてないほどの賑わいを見せている。おかげで「人文の知」というものはまるで蚊帳の外だし、小説ですら売れているのは村上春樹やいつもの面々の作品だけである。あの『カラマーゾフの兄弟』を100万部も売った翻訳本バブルはどこへ行ったのだろう。まことに奇妙な現象である。
米国のゴールドラッシュのときに、砂金をとる人よりもスコップを売った人の方が儲かったのと同じように、今は投資をするよりも投資の本を書いた方が儲かるという事実を、某ビジネスパーソンの執筆活動が明らかにしている。まことに商魂たくましいという他はない。
そういう本の教えに共感し、実践している人たちは、いってみれば掴んだお金は一銭もこぼれ落ちないようにと掌をお椀のようにかたちづくっているから見ていて滑稽になる。貯め込んだお金の上澄み液でいかに暮らしていくかという算段に膨大な時間を費やしている。それはそれでその人たちの生き方だから、個人を捕まえて今更とやかく言ってやろうなどという気持ちはまるでない。
正直に言えば、わたしはそんなことになんの興味もない。そんな時間とお金があるなら自分に投資したいとおもうし、活きたお金の使い方をしたい。そういうと、投資するにも自己資金が必要だろうと切り替えされるかもしれないが、わたしは金額の多寡を問題にしてはいない。極端な言い方をすれば、一円でも百円でも自己投資は可能である。

ところで、ここでは二人の人物による活きたお金の使い方の実践例について触れておきたい。
一人はわたしも直接お世話になっているMさんである。彼は、普通なら別荘をいくつも持って高級自動車を乗り回し、家にはブランドもののクローゼットいう名の倉庫をつくるところを敢えてやめ、億に近い数千万円もの身銭を切って学生たちの就職支援の財団を立ち上げた(返済不要の奨学金制度である)。その活動の中心はたんなる奨学生のための就職先の斡旋ではなく、また企業PRのための奨学金活動でもない(企業PRのためのそれは、奨学金とはいわず広告費という)。Mさんがすごいのは、国立大学の理事を務め、教育を内側と外側から一生懸命再生しようと東奔西走していることだ。ここに「ただ現場を批判するだけの人」と「ただ黙って動く人」のとても大きな差がある(こういう態度に対して「どうせお金があるからでしょう」と冷やかし半分に言う人をわたしは心の底から軽蔑する)。この財団の目的は、いかに生きるかを学ぶ場であり、そういったプログラムが数多く用意されている。数千万円の身銭を切っているからこそ、財団の運営には当然シビアになる。それがとてもいい形で回っている。こういったお金の在り方こそ、まさに活きた使い方だとわたしは呼びたい。

もうひと方ご紹介しておきたいのはTさんである。彼女は、ある理由があってほぼ空き家状態になっていた実家を、学生や社会に船出したばかりの若者たちの「社会活動」や「地域連携」のための場として提供している。この場に集う若者たちは、日々の悩み事を互いに解決し合い、意見交換をし、いくつものイベントを発信している。別にその場では、神々しいTさんがあぐらをかいてありがたい説教をたれているわけでもないし、一定の思想を植え付けようと企んでいるわけでもない。
Tさんはみんなのために家をリフォームし、共同で使う自動車も購入した。これらはすべてTさんの自腹であり、身銭である。若者たちもそれに応えて部屋を片づけ、日々掃除をし、庭の手入れまではじめている(念のために書いておくが、別に共同暮らしをしているわけでもないし、出家しているわけでもない)。
こういう態度に対して心根の腐った大人たちは、悪のたまり場になる、何かあったら誰が責任を取るんだ、政治活動や宗教活動の拠点にならないか、連れ込み・・・とひそひそ声を上げる。よっぽど社会の方が腐っているし、そういう発想そのものが世俗の毒気にやられているとわたしは思う。
今のわたしにはとてもこの二人の先輩たちのようなことはできない。授業のあとに十数名の学生たちと学食に集まり「ここのメニューなら、何でもいいから(特にカレー)食べていいよ。おかずを一品増やしてもいいからね」というのがせいぜいである(何度も書いて来たけれど、わたしは「みんなで食べる」ということをとても重視している)。
上に書いたMさんとTさんには、威圧的な態度はまったくないし、恩着せがましさは微塵もない。当然、自腹の見返りを求めるようなことも一切しない。「わたしに恩返しする気があるなら、自らが高まり、後輩を育てて欲しい」という態度を貫いているのだ。それが一切ぶれず、終始一貫している。本当に心から尊敬できる二人であるし、わたしもできれば彼らのように生きたいと強く思う。


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