平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

膨大な「仕事」のせいである

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「脳内探訪」がまったく更新できない。約一週間ぶりの更新だ。遊んでいるのではない。仕事である。仕事が山のようにあるのだ。仕事といっても別にビジネスばかりではない。そもそも「仕事=ビジネス」と考えてしまうのは現代人の病である。「仕事」という言葉は、明治にできた「教育」とか「学問」とか「経済」とか「哲学」とかと横並びに発明されたのではない。既に室町時代中期から存在する。
仕事とは「事に仕える」と書く。「事」というのは「言」でもある。言を以て仕える。これはまさに神事のことで、眼に見えないなにものかに向かって事(言)をあげる行為がすなわち仕事である。そう解釈してもいいぐらいだ(本来、仕事の「仕」はサ変動詞「する」の連用形)。 
一方「戦略的に、効率的に、無駄なく、スキルを駆使して、敵を落とす」というのは仕事ではなく、ビジネスである。

「今この瞬間は無駄なことにおもえるが、この先何か大きな可能性を感じている状態」を「仕事をしている」という。
そういった意味で、わたしには膨大な可能性を秘めた仕事が山のようにある。例えば、ドイツ留学から舞い戻った学生Mちゃんを囲んでスモールサイズでおこなったお祝い会もその一つである。Mちゃんは、情報意匠論というわたしの担当している授業を今から手伝うと手を挙げてくれているひとりでもある。ありがたいことである。わたしのやることは、こういった優秀な学生によってすべて支えられている。人間なんか一人でできることには限界がある。わたしがだらしがないと学生がよけにしっかりしてくる。 
そう、こういう場所にちゃんと足を運んで「お礼の祝詞をあげる」のがわたしの仕事なのである。
また学生Yさんが就活の報告をしてくれるというので出掛けていって、ワインで全身を清めながら言祝ぐという「仕事」も立派にこなし、これまた四年越しで行っている「平野ゼミ」と名付けてもらっている某6名の宴では、何事もなく日々送れることへの感謝の気持ちを、各人が勝手に御神酒を胃袋へお備えするということでかたちに表した。
勘違いしてもらっては困る。べつに飲み食いしているだけがわたしの仕事ではない。
つい先日も友人の中学生SくんとMちゃんから携帯メールで「現代思想ってなんですか」という質問が届く。君たちね〜、そんなこと携帯メール二行でする質問じゃないでしょー! ということで、夜討ち朝駆けで三日間にわたって特別講義を開講。ここでも彼らの大きな可能性を感じる仕事となった。
この一週間で、三本の締め切りという「ビジネス」をこなし、さらには大きな講座をなんとか乗り越えた(ゼー ゼー A4にすると30枚を越える資料作りでヘトヘトになった)。
そうして「ビジネス」から再び「仕事」に戻って二日間で芝居を四本も観て(そのうち、三本は一日で観る。内容は後日、記します)、少ないながらも読書もちゃんとして、この一週間で新幹線に三回乗った。
あ〜、そんなわけで、わたくしには、ありがたいことに「仕事」が膨大なのである。



◆また「合祝(がっしゅく)」やろうかな。実は「縁足(えんそく)」というアイデアもあるんですよ(笑) おめでとう〜。


◆Tくんがついに小学校の先生になった。これもまたうれしいニュースだった。念願だったしね。よかったね。おめでとう〜。


◆きょうの告白:
わたくし平野雅彦は、床に落ちたお稲荷さん二つを、勿体ないのでそのままパクンと食べてしまいました。お稲荷さんって床に落とすと埃がいっぱい・・・今のところ異常なし。


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