ゴールデンウィークってなんですか?
最近、屋敷周辺に出没する猫。野良かな。
GWって何ですか?
とにかく休み中に退治しておかねばならない仕事が多すぎる。
ふ〜
午前中は有度サロン。
http://www.spac.or.jp/09_spring/salon.html
講師は文学評論の高澤秀次。ゲストが精神科医の齋藤環。テーマは「近代文学の終焉とその後 〜21世紀はいかに可能か」。
両者の対談が終わると、わたしが腰掛けていたすぐ斜め後ろに潜んでいた(笑)磯崎新がまず言葉を発し(質問や意見と言うよりも約10分間のミニ講演だった)、やはり会場にいた鈴木忠志や柄谷行人にも発言を促す。この世代に対して、もはや思想自体が古いのではないかという評が聞こえてくるが、なになに、彼らの発言を聴く度に、なぜこうも厚みと力があるのだろうとわたしは思う。特に柄谷のどっしりと腰を据えた言説には未だ鬼のような迫力がある。
「わたしは文学の周辺で発言してきたので文学評論家みたいに言われるが、実は全く違う。たまたま文学の周りが居やすかっただけのことだ。1992年に中上健次が死んだとき、わたしは文学の評論をやめようとおもったが、何とか引き延ばしてきた。しかし、それも去年で完全にやめた。わたしはこれまで(これからも)建築や演劇にも自由な立場でコミットする」。
この迫力ある発言で肝心の高澤&齋藤の話がわたしの中ですっ飛んでしまった。
今朝の朝日新聞の書評欄では、齋藤環が福岡伸一の『動的平衡』を取りあげていた。齋藤は、そこではむしろ中身よりもその文体の方を存分に褒め、そうしてニューサイエンティストとして一世を風靡したライアル・ワトソンを盛んに引く福岡に対して警鐘を鳴らしていた。こちらの発言の方がより齋藤らしかった。
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