平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

NPO法人 地域マップ研究所の仕事


雑誌『National Geographic』に時折付いてくる地図が好きである。手元に今までのものが20種類ぐらいはあるだろうか。とにかくクオリティが高く、何よりも普段見ることのできな珍しい地図が多いのが特徴だ。それは古代地中海アテナイの栄光を描いた地図だったり、エジプトの神殿を描いたもの、世界の渡り鳥の経路、人類の起源、最新太陽系マップ、失われた先住民の世界、滅びゆく生物の地図だったりする。そんなわけで、National Geographicのオリジナル地図ときいただけで、ついつい財布の紐がゆるんでしまうのだ。

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1959年4月1日号の『岳人』132「雪の劔岳周辺特集」が手元にある。きっと本誌に挟まれている畦地梅太郎の絵が気になって、ずっと以前に(わたし自身が)古本屋で購入したものだろう(まったく覚えていないけれど)。それがきょうは同じ誌面の中の劔岳の特集の方に見入っている。雑誌の役割というのはこれだからたまらない。

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さて、この度 NPO法人地域マップ研究所 http://www.chiiki-map.com/
が開催した『“劔岳 点の記”に学ぶ地図づくりのロマン』(4月29日 於・グランシップ)のイベントを少しだけお手伝いさせて頂いた。
メインイベントに駆けつけた『劔岳 点の記』の木村大作監督の講演には、いくつか共感した言葉があった。なかでも深く頷いたのは「無理をしなけりゃ結果は残せない」である。
木村監督はこれを映画のセリフとして「誰かがいかなきゃ道はできない」と言い換えた。この言葉を地でいく監督はこの映画のために約200日に及ぶ千日回峰のような劔岳ロケを敢行した(200日なのに千日は変だなんて指摘しないように)。「CGなんか絶対に使わない」という強い誓いは、まさにドキュメンタリー映像の撮影手法以外の何ものでもない。

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もうひとつ。この映画の撮影における特徴は「順撮り」にある。順撮りというのは、映画を絵コンテの順番通りに撮っていく手法だ。当たり前だと思うかもしれないが、ほとんどの映画では、予算と効率を考え、同じ場所、同じ俳優という条件が揃えば、絵のつなぎを予想して絵コンテの順番を飛び越えた他のカットをいっしょにその場で撮ってしまう。しかし順撮りはちがう。あくまでもストーリーの順にこだわるのである。順撮りのいいところは「時間の中で構築した関係を入れ替えない」ということだ。アラーキー流にいえば「編集しない編集」だ。順撮りでは、当然ながらカットを重ねるごとに俳優やキャストの気持ちが深まっていくし、その気配が映像のあちらこちらから漂ってくる。本来、映画とは、ストーリーを追いかけることではなく、俳優たちが役柄を演じながらも、その時系列の中で関係を深めていく行為を追体験することである。木村監督は、この映画のストーリーを考えたとき、順撮り以外の方法を考えつかなかったに違いない。監督は、俳優たちのヒゲの自然と伸びていく様に注目しろと促す。

木村監督は講演中に来客者を指さしながら「そこの人、今つまらない顔しましたね」と指摘をする(指摘を受けたのは、実は友人のSさん・笑)。きっと半分本気で、半分サービスでやっているのだろう。「僕はね、監督だからそーゆーのがわかるんですよ」。この言葉はたぶん本当だ。わたしもCMの監督を何百本とやってきたから、講演や授業中の人の表情がやっぱり同じようにわかってしまう。あの人、今こういう心模様だなって。映画やCMの監督というのは、カメラの前を横切るハエ一匹見逃さない。これは本当だ。そのハエの表情すらわかるのだ(これはウソ)。

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芝崎芳太郎(しばさきよしたろう)測量官のもとで測夫を務めた生田信(いくたのぶ)は静岡県川根町出身。1907年芝崎の命により劔岳に挑み初登頂に成功。すぐ上の写真は生田の手帳を横からも見たもの。直筆の名前の一部が顔を覗かせる。

◆生田信プロフィール 
川根本町千頭出身。22歳の時、旧陸軍参謀本部陸地測量部(国土地理院の前身)の測量官柴崎芳太郎(1876―1938年)率いる測量隊の一員として当時は前人未踏といわれていた剣岳に登頂。一行は仮設の三角点を設置し、山頂から錫杖(しゃくじょう)頭などを持ち帰った。登頂後、郷里に戻って結婚。行商を経て、昭和3年に家庭用品販売の「ノンキ堂生田商店」を出店した。1885―1950年。

さて、ここまで書いてきて、最後はやっぱり、この企画を立案・実行した地域マップ研究所の底力をほめずにはいられない。このNPO、いくら今までにいくつかのイベントをこなしてきているとはいえ、やっぱりイベントでは素人集団だ。事実、準備段階ではいくつも不安に思うことがあった。だが、驚いたのは、イベントが始まるとレオ・レオニの『スイミー』のように、だれがどこでどんなタイミングで動いたら全体として統率が取れるかということを、もともと細胞が記憶しているかのように各人が動き始めたのだ。それはまるで一つの大きな生命体のようだった。これには舌を巻いた。

イベントはノウハウである。そうして慣れである。というのは、ウソである。イベントとは、主催者がいかに本気で楽しんでいるかが重要だ。こんなことは当たり前だが、ついつい忘れて他の部分に力が入る。地域マップ研究所のみなさんには大切なことを教わった。

そうそう、このブログはきっと読んでいないと思うけれど、当日会場に姿を見せていた某信用金庫のOさん、そのうちゆっくりと。


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