平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

カフェのサロン化におもう

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中山一朗の朗読(於・スノードールhttp://www.snowdoll.net/sndc/)を聴く(コーディネート 野沢由紀子)。中山はかつて鈴木忠志演出でリア王を演じた人だ。
演目は、「果実 作:三島由紀夫」と「元禄色子 作:池波正太郎」。前者は女性と女性の愛、後者は男性と男性の愛についての話。
わたしは以前より異性、同性間で恋愛というものを見るよりも、一人の人間の中に共存する男性性と女性性という関係で互いの関係を見た方がいいと思っている。朗読終了後、参加者みんなで真夜中の二時まで盛り上がる。
中山一朗についてはhttp://www.hirano-masahiko.com/tanbou/688.html参照。

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日本平から望む富士山。山頂付近に架かっている雲を、ふーっと息を掛けて吹き飛ばしたい。お茶の緑も眩しい。


2009年の有度サロン(SPAC主催)が始まった。今期のテーマは「いまの世が抱える<危機>」http://www.spac.or.jp/09_spring/salon.html
。きょうのテーマは『近代社会=近代資本主義の終焉とその後
21世紀の日本の課題』 これについては、いずれまた記す。



鈴木忠志演出の『ディオニュソス』を観る。内容については今ここに書いている時間がない。
ひとことだけ書いておくと、鈴木忠志がSPAC(静岡県舞台芸術センター)芸術総監督宮城聡とのアフタートークで語った内容が印象的だった。

「わたしは個人が解決できる問題を演劇ではやらない」

そのあと、いっしょに会場で話しを聴いていた某カフェのYさんやSPACのYさんと立ち話をした。
最近さまざまなカフェが、独自のネットワークを駆使してコンサートや個展などを開催し、サロン化し始めた。これは全国的な傾向だろうし、歓迎すべきことだ。ただし、わたしが見ている限り、なかなか個人の趣味の域を超えていない。
「わたしの知り合いのアーティストが・・・」 「わたしの知り合いのミュージシャンが・・・」 「わたしの友人の作品展を・・・」というように、おおくの場合がカフェのマスター自身が主語になっている。「わたし」が主語になっている限り、あまり発展的なことは興らないだろう。ここで鈴木忠志の言説を借りるなら、わたしを超えて、公で「今何を問題にしたいのか」という視点で催しを考えることによって、生き残るサロンが生まれるのではないか。注意したいのは、公にするということは一般化することではない。そんなことは今更意味がないし、そもそもつまらない。
かつてカフェというサロンから文学が生まれ、美術や批評、広告や政党、保険が誕生したように、何か新しい潮流を感じる今日この頃である。


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