平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

『もらい泣き』

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わたしのi-podには音楽があまり入ってない。その代わりに、小説や詩や和歌の朗読だったり、Podcastsからダウンロードした講演録がたっぷり入っている(期間限定で、だれかとi-podの交換をしてみたらきっとおもしろいだろうな〜)。とはいっても、ときどき何枚かの音楽CDも入っている。それらはクラシックがほとんどだが、ごく稀にJ-POPなんてものも紛れ込んでいる。そのうちの一枚が一青窈の『もらい泣き』だ。
正直云って、未だに彼女ことはほとんど何も知らない。データはゼロに近い。万が一、その辺りで本人とすれ違って全くわからないだろう。しかしわたしは彼女の何かに引っ掛かってこの一枚を入れたのである。



声だろうか。  それもある。
歌詞。  もちろん。
メロセン。  その通り。
転調。  なるほど。
目線の寄りと引き。  これがすごい。

でも、それだけではない何かが、心のひだに引っ掛かっていたのだ。
で、きょうはじめて、その歌詞を文字の並びとして眺めてみて、理由がおぼろげながらにわかってきた。
歌詞はこうだ(※部分)。



朝、から 字幕だらけのテレビ
 に
齧り付く夜光虫。
自分の居場所
探すひろいリビング
で、『ふっ』と 君がよぎる

愛をよく知る親友とか に は
話せないし、夢みがち。 
段ボール  の  中  ヒキコモりっきり
あのねでもね、
ただ・・・訊いてキイテキイテ
     ええいああ 君からもらい泣き 





「に」の一文字を単身起立させ他の行と競り合ったり
二重括弧を効果的に使うことで、登場人物だけが持つ物語という文脈からはみ出させ外との関係をつくったり、
文字間を一文字分空けたり あるいは二文字分とったり、
行を思い切り右にスライドさせたり。

わたしが「何かがひっかかっている」と思うのは
この卓越した言語感覚にあったのだ。

彼女が「詩人」ではなく「詞人」であるというのは
歌詞「やさしい、のは 誰です。」、を次のように歌うことからもわかる。

「やざじぎぃどば だあででずうう〜ううう〜」


これがとにかく響くのである。


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