才能は静けさの中でつくられる
あっちもこっちも、音であふれかえっている。まちのなかがそうだ。建物のなかがそうだ。乗り物のなかがそうだ。わずか十秒の静けさに人は絶えられず、音を流して欲しいと要求する。
沈黙は確かにこわい。しかし、本当にこわい沈黙とは、いつまで続くかわからない沈黙のことである。
特に日本人は、なぜ、こんなにも音に対して鈍感になってしまったのか。
例えば上の風景。音は付けなくとも、十分音が聞こえてくる。低い重低音が、鼓膜を静かにふるわせる。ただ、それだけでいいではないか。
カクテルパーティ効果という心理学の用語がある。これは、パーティの最中にあちこちから聞こえてくる音の中から自分が欲しい音だけを選択的に引きよせてくる能力をいう。が、こんなにも周りに音があふれている昨今では、「自分が欲しくない音だけを、カンに障りながら引きよせてくる」というように、逆に作用する場合が多い。
下がりなさい、走っちゃいけない、キラララララ、携帯を切りなさい、足下に注意しなさい、ブーブーブー、ガンガンガン、ドンドンドン・・・耳を覆いたくなる音音音音
今夜はもう一つだけ、ゲーテを引いておくことにする。
「才能は静けさの中でつくられ、性格は世の激流の中でつくられる」
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