版画という芸術
昨日ある場所に立っていたら、真後ろの男女二人組が版画につてい語っているのが聞こえてきた。
「版画はアートとしての価値が低い。あんな複製画にハイプライスなどナンセンスだ」と。
この発言こそナンセンスではないか。今でもその二人組に李禹煥の以下の文章を突きつけてやりたい。
「版画は、複製画や再現画ではないと考えたい。一つの版によって、何枚も同じものを刷り上げて複数化することが版画家の仕事とは思えないのだ。
版画の魅力は、むしろ、版という無限に可変性を含みつつ同一性を装うその不安定な重層性にある。インクや紙や刷るという行程や行為のなかで、微妙に変わる。一枚一枚が、どれだけお互いに独立していながらつながっており、似ていながらズレてゆくか。その不安定に揺れる狭間で、画家はつねに新たな世界に出会う。ズレの幅のバイブレーションが、画家を刺激し、繰り返し刷ってみることを欲望する。」
もはやこれは、すばらしい一編の詩ではないか。
ここでは芸術と哲学が詩の中に折りたたまれている。
こういった輩はきっと、詩と哲学の関係について言及したメルロ=ポンティの書物でさえ、平気でまたいで通るだろう。
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