平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

見たか、聞いたか、『新菜箸本撰』第六号

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『新菜箸本撰』の第六号を読む。
編集は、わたしの私淑する大阪のアートディレクター(有限会社グッズ代表)であり、大阪大学21世紀懐徳堂 特任研究員の雪破こと荒木基次さんである。「どう、おしゃれでしょう〜」という薄っぺらなデザインを叱る氏の仕事ぶりに、普段よりわたしは絶大なる信頼をおいている。まだお会いしていないが、この仕事から推察するにデザイナー永島聡子氏もきっと凄腕に違いない。

しかしこの大阪の出版文化を紹介する『新菜箸本撰』も、あっという間に六号を世に送り出した。濃い。とにかく「恋」。そうして、どこからでもかかって「来い」である(なんのこっちゃ)。
テーマは「風雅」。本号では風雅とフーガがほぼ同義語で使われている。巻頭言で大阪大学総合学術博物館教授の橋爪節也氏が、そのあたりのことをダブルミーニング、トリプルミーングとして射抜いている。曰く「フーガは、〈遁走曲〉とも訳される。一つに主題を複数の声部が追いかけて成り立つ楽曲のことで、反行フーガ、縮小フーガ、多重フーガ、鏡映フーガなどの技法がある。とすれば、大晦日の掛け取りをいかに逃げるかで成る井原西鶴(1642-93)の『世間胸算用』こそ、世俗カンタータならぬ、浮き世のフーガ尽くし、江戸時代、最大の〈遁走曲(フーガ)の技法〉かも、なんて余計なことまで思いつく」と。

さて、先鋒として躍り出たのは、ウィーン大学文献文化学部教授で、同大学東アジア研究所所長のセップ・リンハルト氏。 「上方絵に見る拳遊び」と題した小論を寄せる。少ないページ数にもかかわらず、実に的確におおくの和本や錦絵の文献を挙げ、上方の拳文化(19世紀初頭がピークらしい)を案内する。
中でもドイツのあるオークションで手に入れたという松川半山(1818-1882)の大津絵の拳を挙げながら、さまざまな推察をしていく下りは一編の推理小説を読むようでもある(まあ、お読み下さい)。

続いて元関西大学文学部で書誌学を研究されていた肥田皓三氏の『はんこやの風雅本』がこれまた興味深い。
錦絵を専門に販売する絵草紙屋を大阪では「版古屋(版行屋=はんこや)」と呼んだらしい(江戸時代には印刷物をはんこう、版行、板行と呼んだ。「はんこうや」はやがてそれをつづめて「はんこや」になった)。そう、そのはんこやを代表するのが心斎橋筋の、綿喜、冨士政、本為(心斎橋本屋為助)の御三家。
肥田氏は偶然、古書目録からこの本為から出版された長谷川小信作の『女遊四季の栄え 上巻 一冊』を手に入れる。そうして、その内容を喜々として読者に伝える。上巻を手に入れたからには、下巻も見たいというのが世の常、人のサガ。その熱い想いがひしひしと伝わってくる。

まずい、こんな調子ですべてを紹介していると時間がいくらあっても足りないぞ(汗)でも書きたい。でもやっぱりきょうはもう時間がない。

東京芸術大学の片山まび氏の「ある日の心斎橋 享保四年九月某日 朝鮮通信使 大坂の書林書屋におどろくのこと」が、これまた愉快で、とにかくすごい。松川半山の「朝鮮人来朝始」を見ながら朝鮮通信使がその日に回った本屋を一軒一軒・・・

また冒頭でご紹介した橋爪節也氏の「大坂幕末の書画会 再び狂詩集『浪華酔咏』」を読み解く連載読み物では・・・

・・・すみません、また時間をみて追記します(汗) 

とにかく、これら兵の原稿に馬乗りになって一気に編み込んでいく荒木雪破氏の編集馬術の力、天晴れ! よっ、荒木屋!! 

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◆『新菜箸本撰』については以前にも書かせて頂きました。http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/87.html


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◆青山のSPIRALの入り口に臨時に設置された手帳コーナーを JUST LOOKINGしていたら、なんと遠藤澄子さんのカレンダーを発見! 奧の壁に貼ってあるカレンダーが彼女の作品である(手前の箱がカレンダーの入れ物)。遠藤澄子さんについては以前にも記したhttp://www.hirano-masahiko.com/tanbou/699.html。お近くの方は、ぜひ覗いてみてください。


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