平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

平野凡太郎

◆打合せのために、出たり入ったり。寒い。凍える。静岡でさえ身を刺すような寒さなんだから雪国はいったいどうなっているのだろう。ほとんどを炬燵みたいな静岡市で暮らしてきた私には雪国ことが身に染みてわかっていない(でもここ五六年は足下の小さな電気ストーブと膝掛けだけで何とか真冬を乗り切っている。真夏も卓上扇風機と団扇のみである)。
昼前には寒空のなか、外に立っていたので身体が芯から冷えきった。実はお昼にいったん戻ったときには、自宅の温泉につかる(といってもKさんから頂いた温泉の素であ〜る)。昼間に風呂に入る、これはフリーならではの特権である。誰からも文句は言われない。はっはっはっはっ。しかし、暖まってまた外へ。寒い〜、凍りつく〜。洗い髪がバリバリと音を立てる。

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◆秋好馨の名をご存じの方はいったいどのくらいいるのだろう。漫画『轟先生』の作者といえば、「あ〜!あの人ね、、顔は知らないけれど」という方もいらっしゃるだろう。いずれにしても馴染みのあるのは、50代後半以降の方々だろう。
秋好馨(あきよし・かおる 1912-1989)は東京都出身の漫画家である。彼の代表作『轟先生』は約30年もの間、読売新聞に連載された四コマ漫画である。
その秋好馨の佳作が『平野凡太郎』。調べてみたら昭和二十九年あたりから三十年代前半にかけて単行本で数冊出ているようである。
なぜ主人公が「平野」なのかは不明。秋好馨の本名も不明である。もしかすると秋好の本名が平野かな? 秋好の知人に平野何某かのモデルがいた? いずれにしても当方とは縁もゆかりもございません(凡太郎の名は共感するけれど)。
秋好が亡くなったのは、漫画家でいえば手塚治虫と同じ1989年。しかし、秋好の死はほとんど話題にもならなかった。きっと読売新聞紙上が主な活躍の場だったから他のメディアは取り上げにくかったということもあるだろう。それにひとつのことをただやり通した人は、なかなか「新鮮なニュース」としてメディアに取り上げにくいという側面もあるだろう。こういったスタイルで仕事をし続けた人はごまんといる。いや、もの作りに係わる人は、むしろこういったタイプが圧倒的だ。きちんとスポットと当てて上げたい。

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ということらしいですよ(笑)

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