静岡では cafe aura閉店で、aura難民が・・・
こんなに惜しまれてやめていく店を未だかつて見たことがない。Café auraが12月28日をもって(いったん)閉店した。静岡では約3年半の営業であった。この間、さまざまな貌がauraのカウンターに腰を掛けた。「やりたいことがあって京都へ行く」 それがオーナー ヨシザキコウスケの言葉であり、決断である。
昨晩28日、ファイナルパーティがあり、お客を代表してひと言だけ述べさせて頂いた。その内容についてここにも簡単に書き留めておく。
ヨシザキコウスケが静岡で育てた文化は「カウンターの文化」である。「カウンターの文化」とは、カフェのカウンターを挟んでオーナーとの会話のやり取りによって、さまざまな文化を産み落としていく行為そのものを云う。ダブルミーニングになるのかもしれないが、もう一つは「カウンター・カルチャーcountercultere」である。カウンターという装置でヨシザキコウスケと向かい合った客は、自然とヨシザキとの対話が始まる。それは紛れもない弁証法だ。ただの雑談ならどこのカフェでもやっている。ところがここがヨシザキをヨシザキたらしめているところでもあるのだが、それは彼との対話を通すことによって、対話する者は自己意識がさらなる高見へと導かれることだ。彼にはそういった人の能力をのばす才能がある。絡んだ思考の糸は解され、愚痴はヨシザキ・フィルターを通すことにより自然と建設的な議論となり、重箱の隅をつつくような話は地や天の話へと還元される。これがヨシザキ流カウンター・カルチャーの真骨頂だ。先にダブルミーニングと云ったが、彼は反体制という思想も備え持っているようにみえる。といっても、常に拳を突き上げていたわけではない。彼はずっと途切れることなく続けてきた勉強会で、自らの考え方を参加者に訴え続けてきたのである。
そもそもカフェの文化というのは、フランスやイギリスの歴史を見ても明らかなように、為政者と市民、すなわちトップとボトムを接近させ、政党を生み、保険や広告を生みだし、出版文化や哲学や美術や文学を醸造させた。
ところで、鎌倉中期の僧に時宗の一遍がいる。一遍は従来の仏教を否定し、寺も持たず遊行を続けた。それまでの仏教が、妻を娶ることを禁止したのに対して、時宗は妻子を持つことを肯定した。だが、一遍はそこにはとらわれず、遊行を繰り返し、踊り念仏を通して仏教を布教したのである。
実は、カフェauraのヨシザキもつい数ヶ月前に籍を入れたばかりである。そうして、敢えて安定を捨て、今度は京都へヨシザキ流カウンター・カルチャーの布教のための遊行に出掛ける。きっと京都でのヨシザキの企みはカフェという形体にこだわらないだろう。カウンターとは必ずしも店のカウンターばかりをいうのではないからだ。彼の存在そのものがカウンター・カルチャーなのである。
ヨシザキコウスケさん、そうしてイチヤナギアヤノさん、もとい、ヨシザキアヤノさん、おめでとうございます。本当にお疲れ様でした。
auraのサイトからぱくった写真
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