平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

分量と文量。そうして座力。

akari


午前中に一度打合せに出かけたものの、ビタミンCを頬張りながらほぼ一日机の前にいる。座り続けるにも能力がいる。そう書くとすぐに思い浮かべるのが手塚治虫先生と漢字学の白川静先生のことである。彼らは「座力」の人である。来る日も来る日も座り続けた。朝から晩まで座り続けた。食事をするのも惜しんで机に向かい続けた。
夕方から漱石全集と荷風全集と鈴木大拙全集と三木清全集とアリストテレス全集(すべて岩波書店)をひっくり返す。ともに膨大に書いてきた人たちだ。その膨大さに目がくらむ。いったい何やってるんだ、自分は。と(才能を脇に置いて)思う。鈴木大拙に至っては全集でなんと40巻という分量だ。分量は文量である。いったい彼はどれだけ座り続けたのか。どれだけ考えたのだろう。手塚治虫先生は更にすごくて全400巻(講談社)でもまだおおくの作品がおさまりきれない。そうして、それが今でも読み継がれている。
ボリュームではない。内容だ。そう言う人がいる。そんな当たり前のことをいわれても何も思わない。つまらないな〜とこころで呟くだけだ。そんな言葉は何も生み出しはしない。

tokei


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