ない が ある 〜 一柳綾乃個展「日々のかけら。」
一柳綾乃個展 「 日々のかけら。 」を観る。
「かけら」 あるものから部分が抜け落ちたもの。抜け落ちたところが空席となる。空席となるからこそ、そこに心が引きよせられていく。それは欠片の方に目をやるべきでなく、むしろ欠けてしまった「空なる場」にこそ、こころを遊ばせるべきなのだ。「ない が ある」。これは重要な日本のコンセプトである。
例えば、枯山水。そこには本物の水はない。代わりに岩や小石などを置いて流れをつくる。ただし岩や小石を並べただけでは流れはつくれない。どんなに小石に流水の線を描こうとも、それは止水のままである。
だが、おそるべきことにその流れの中州に、「ある存在をもった岩」をひとつだけ置いてみる。すると、とたんに水は流れはじめるのだ。岩に水が当たり、左右に流れが分岐するかのように我々はイメージせずにはいられない。清流が、石清水が、落合が、出現するのである。
以前にも書いたけれど、一柳綾乃の作品は今目の前に展示してある作品にのみ心を奪われ、そこを無理矢理言語化しようものなら何も解説・批評したことにならい。「ない が ある」のである。そこでは「ある存在をもった岩」をどう置けるか、鑑賞者の力量が試される。
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