平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

時代なんか、パッと変わる。 2008/10/07

nami9


 サントリー リザーブシルキーの広告に「時代なんか、パッと変わる」という名コピーがあった。秋山晶というダンディズムがつくった昭和の名コピーである。運悪く彼の名作キューピーマヨネーズのシリーズ広告を知らない方でも、高倉健の「男は黙ってサッポロビール」のコピーを聞いたことのない人はあまりいないだろう。あの作者と覚えて欲しい。

 ところでコピーというのは、そもそも読み手の能力が高ければ高いほど、深く読ませる、そういう機能を持っている。少々乱暴な言い方だが「読み手が勝手に深く読む」もの、そういうコピーが名作だ。更に言えばコピーとは「読み手の内生を明確化させる装置」なのだ。コピーライターというのはその射程をきちんと計算する。
 当時若造だったわたしにはこの「時代なんか、パッと変わる」というコピーの深さがよくわからなかった。だが世の中のことが少しずつわかってくれば来るほど、このコピーのすごさが伝わってきた。そう、「時代なんか、パッと変わる」のだ。たとえば、生命を支える医学の常識だって、一夜にしてパッと変わるではないか。

 例えば、日本の仏教は「鎌倉新仏教中心論(中心史観)」というものがずっと時代の先頭を走ってきた。簡単にいうならそれは、法然や親鸞や道元らが中心となって活動し、そこから今日を代表する諸宗派が誕生したという考え方だ。
 しかし、「時代なんか、パッと変わる」のだ。それまでは絶対に揺らぐことのないとされてきた「鎌倉新仏教中心論(中心史観)」、これにストップをかけたのが1970年の半ば突如として登場した「顕密体制論」である。この学説はある日突然学会を震撼させた。まさにこれが「パッ」の瞬間である。
 「顕密」とは、密教以外の仏教(顕教)と密教のこと、すなわち天台宗+真言宗+南都六宗のことで、これらが広大な敷地や寺院を持ち、荘園の領主となって政治や経済に多大なる影響を与えていたという考え方だ。そう見ると中世鎌倉の仏教体制は、鎌倉新仏教中心論ではなく、顕密体制論となる。では顕密体制論がすべて正しいかといえば現段階ではなんとも言えないだろうが、少なくとも「鎌倉新仏教中心論(中心史観)」だけでは語れなくなっている。
 時代なんか、パッと変わるのだ。毛織物から繊維工業へ、重工業、耐久消費財から情報の時代へ。アダム・スミスからカール・マルクス、そうしてジョン・メイナード・ケインズへ。社会主義から資本主義、そうして新自由主義へ さらには混沌の時代へ。サッチャリズム、レーガノミクス、中曽根改革へ。そのあとバトンを受け取った首相たちは、パッと変わるどころからパッ、パッ、パッ、パッと変わっていった。秋山先生ならこの時代へあてた、なんというコピーを創るだろう。


※進化論のドーキンストとグールドの議論は、まさにこのメジャーの長さという取り方にある。


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