平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

恋のツール 携帯メール

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◆脳内探訪を一気に三本もアップしてしまった。原因は仕事が忙しからである。何度も云うけれどこれは矛盾した行為ではない。忙しいからこそ、脳の細部までが働きだしてしまうのである。


◆電車のボックス席に腰を下ろしたら、次の駅で女子高生たちがどたどたどたと乗り込んできた(比喩ではなくて本当に)。そうして、腰をドスン、ドスン、ドスン(三人分の音)と下ろすと、まるでおじさん(わたし)などそこにいないかのように、誰それちゃんと誰だれ君がくっついたの離れたのと大声で話しはじめた。
先週A君とB子ちゃんがメールのやり取りが原因で別れたんだけど、昨日B子ちゃんにはメールで知り合った新しい彼がもうできたらしい。彼女は今年になって男性諸君をとっかえひっかえすること8人目だという。やるじゃねーかー。   違う、違う、違〜う!!! いやはや、日本の将来は大丈夫か!?
どうも聞いていると(いやいや、聞こえてくるところによると)、彼女たちは、恋のツールを完全に携帯メールに依存していることがわかってくる(そんなことは縄文時代からの常識だ)。
C子ちゃんは、メールで知り合ったD太郎君と、メールで約束をして、メールでケンカして、メールで別れたそうだ(苦笑) おいおいおい、で、その二人は一度ぐらい顔を合わせたのかい、とおじさんは聞いてみたくなる。
昔は彼女とデートの約束をするのも命がけだった。家庭用の電話しかなかったし、電話をすると決まって電話口に出るのはお父さん。これはもうお約束でしょ。彼女を電話口まで呼び出したくて、「あ、あの・・・や、山下さん、いらっしゃいますか」などというと、お父さんが咳払いをしながら「わたしも、山下だが!」などといじわるをいわれたものだ。しかしそこで引かないのがニッポン男児!(死語) 何とかして彼女に一目会いたい。デートしたい。あわよくば手ぐらいぎゅっと握ってみたい。寿司屋の兄ちゃんでなくったってそう思った。そうして、そういう気持ちがメラメラメラと燃え上がって火の玉となって次への戦略へと、次への戦術へと、そうして次への行動へと向かわせたのだ。
だが今の時代、そんなストレスはゼロ。メールで本人へちょちょいのちょーい。ストレスがないと言うことは、そのための努力は必要がないということで、もっといえば、その能力がひたすら退化するということだ。
携帯メールは確かに便利である。思いついたときに、場所を選ばずに送信できる(逆の言い方をするなら「コトの後回しを許さないツール」)。熱い想いが沸き立った瞬間に、その想いを真っ直ぐに目的の相手の掌の中にへ送り届けることができる。
ただし、短いが故に誤解が多く生ずる。書き手はこれで伝わるだろうと思い込んで、ワードだけを並べるようにして刹那的に送信ボタンを押す。したがって必然的に言葉は想いの温度を保てなくなる。更に悪いことに、メールの受け手は自分の都合に引きつけて解釈をする。おやおや、これじゃあ、いくら神仏を拝んでみたところで高校生たちの恋は成就しないわけである(高校生に限ったことではないが)。
また、携帯小説が流行る裏には、この刹那的な感覚がひじょうに強く働いているようにも思える。そのことはいずれまた書くとする。

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