ブロック塀と灰皿の関係 〜もっとも基本的なデザインの話 2008/09/17
写真は近所にあるバス停周辺。赤く見えるのがジュースの自動販売機、その隣りには四段の高さのブロック塀がある。大人でいうと、腰の高さよりもちょっと下。ちょうど手をぶらりと下げた高さだ。その背中合わせのところに煙草の自販機がある。
で、ブロック塀に近づいてみると・・・
ほらね、ブロック塀の穴が灰皿代わりになっている。
モラルの話をしたいのではない。人は手をやったその先に「偶然にあるもの」と関係を持ちたがる。わざわざ手をのばしたり、ある目的のために体をねじったりするのが基本的に面倒なのだ。
だから、こうして「煙草の自動販売機がある場所」で「煙草を吸いながらバスを待つ」という条件のもと、そこに「偶然に手をのばしたところに灰皿(の代わりのもの)がある」のでそれを「積極的に利用する」のだ。
これはデザインの本質を衝いている。デザインとは「 人の行動に先回りしてあるべき」なのだ。偶然手を伸ばしたその先に、欲しいモノが先回りしておいてあるように。
ちなみに吸い殻を観察すると、その銘柄から一人や二人の仕業でないことが見えてくる。飴の棒まで捨ててある。だれかひとりがこういうことをはじめると、罪の意識が連作的に激減し、平気で罪の上に罪を重ねていけるのがまた人間の弱さである。文化財への落書きの背景にも同じ図式がある。
そのうちきっとこのブロックの穴へ洗濯機や自動車、パソコン、猫や犬まで捨てる輩が出てくるだろう。お願いです。せめて、せめて赤ちゃんは「赤ちゃんポストへ」(ネーミングは嫌いだけど)。
あらゆるデザインの基本は代用である。
「人はなぜか自然とそうしてしまう」にデザインのヒントがある。
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