平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

「神の見えざる手」とプロジェクト

kokufuron


◆大事なことは「神の見えざる手」をいかに動かすかである。簡単にいえば、「あなたにとっても、わたしにとっても良い状態」をつくりだすことだ。それは何もスミスの云う経済だけの話ではない。まさにプロジェクトがそうである。チームのエンジンづくりだ。これが簡単そうで想像以上に難しい。「神の見えざる手」とは、「わたしは、わたし。あなたは、あなた」、それでは成立しない関係の背骨づくりでもある。
 個人でやるのは簡単だ。イヤならやめれば済む。誰も文句は言わない。だが、グループで行動しているにもかかわらず最後は個人に引き戻してしまう人は、悲しいかなプロジェクトには不向きである。そんな「真似」をするだけ周りが混乱して迷惑だ。メンバーのイヤなところばかりが見えてきて、そうしてついには批判ばかりになる(わたしの云いたいのは、モラルでもなければプラス思考ではない)。
 ちなみに改めてアダム・スミスの『国富論』をひっくり返して調べてみたら「見えざる手」という表現を見つけることができたが、そこには「神の」という形容はない。あとからだれかが勝手につけたのだろう。しかも『国富論』の中でこのキーワードは一カ所だけしか出てこない。時代を変えたキーワードである。







◆哲学者の廣松渉は、毎日論文三千枚に目を通せと学生を叱咤した。そんなことはできるわけがない、とすぐに口にする者は凡人である。できる、できない、そんなことはどうでもいい話だ。わたしはこういった「過剰」が大好きである。


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