美貌録、じゃなくて備忘録
かなりせっぱ詰まっているので備忘録
◆哲学者モーリス・メルロ=ポンティに「哲学とは、不断におのれの出発点を更新していく経験だ」という有名な言葉がある。いってみれば哲学は人生・経験そのものだから「哲学とは」の部分を「人生とは」と読み替えても良い。その方がわかりやすいという人もいるかもしれない。しかし、それは甘っちょろい更新ではない。日々自分の考えや立ち位置や経験を厳しく疑ってかかることだ。
更新のない暮らしはなんと退屈だろう。
◆昨年に引き続き、「掛川市民大学校」の学びの一環として静岡県三島市の水辺の取り組みを視察。雨の中傘をさして、足場の悪い中を一日中移動。疲れた〜。しかし、川の音、雨の匂いがひじょうに心地良い。本当ならここで一句、といいたいところだがセンスがまるでない。「とにかく十七字を並べてごらん」というようなことを云ったのは高浜虚子でしたかねぇ。
往復の自動車で司馬遼太郎の講演録を聴く。建築の話と日本におけるキリスト教の発展史。膝の上に特大ノートを広げて、赤信号ごとにメモをとる。
◆某企業(未だ言えない)のキャラクター戦略の詰めをするために東京は銀座へ。スタッフ一人一人がきちんと自分のこととして考えているので、重要なことがすぐに決まる。担当者が腹をくくっていることがすべての推進エンジンになっている。いやはや、腹をくくるのは大変だ。でもこれ以上強力なエンジンは他にない。そういえば、極真空手の大山倍達先生が、腹をくくって死ぬ気で来る奴がいちばん恐い、と云っていた。
今回はキャラクターの決定とその可能性、波及効果について意見を深める。企画をする場合に、この「波及効果」がとても大切である。企画の「のりしろ」だ。ほとんどの企画で、この波及効果がなおざりになる(と書いても、誰も気にとめない。)。
キャラクターへの取り組みは、サクサク決まっていくケースもあれば、組織の「都合」だけでオジャンになるケースとがあって、それが他の仕事に比べて極端に表面化するような気がする。このところ二つのキャラクター戦略がもう一歩というところまで進んでいたにもかかわらずストップがかかった。いったん組織の「都合」を言い出すと、その話は絶対に先へと進まない。みんな責任を負いたくないので、懸案を脇に置くからだ。
とはいっても、みんなそれぞれの「都合」があるのだろう。「広くみんなから意見を取り入れる」という事実は、その裏にどういうことがあるのか、ここにはいちいち書かない。だがひとつだけはっきりしていることがある。それは広くみんなの意見をきくという仕方は必ずしもクリエイティブではないということだ。実力のある者は、場所を変えて必ず結果を残すものだし、自分自身もそうありたいと強くおもう。
◆久しぶりに新幹線ミーティングhttp://www.hirano-masahiko.com/tanbou/160.html。機密事項が多いためグリーン車をとっていただく。一時間しかないのでみんなが集中して話ができる。決定すべき事項がサクサク決まる。誠に気に入っている会議の手法である。ただしコストがかかる。習慣でビールを飲みたくなる人もいるようだ。お帰りの車中で、ぜひどうぞ。
◆名監督になりたい。人の力を200パーセント引き出す役割だ。特に大学という学びの場に係わるとそれを強くおもう。学生の力は無限だ。だが学生たちにはチャンスがない。チャンスが見えない。チャンスは自分で掴み取りなさい、という言い方もあるがそんな簡単な話ではない。プロでも難しい。自分の学生時代を思い浮かべればすぐにわかる。
北京五輪で興味深かったのは、日本から世界へはばたくシンクロのコーチたちの活躍だ。例えば中国のヘッドコーチの井村雅代、スペインチームの藤木麻裕子、この二人のムードの作り方は実にすばらしい。チームは監督で決まるのだ。やっぱり、名選手のカゲには名監督がいる。学びの場だって、全く同じである。
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