景気と景色
◆ドイツに留学中の静岡大学Mちゃんが近況を知らせてくれる。学生のうちは、何も役立たないことを一生懸命やりましょう。以前にも書いたけれど、ゲーテが、今、自分の文脈にないことを学ぶこと、それが教養を育てる唯一の方法であると申しております。Mちゃん、あとはゲーテの足跡でも追いながらぜひイタリアへ。
◆社会人一年生のY子さんが仕事場の近況報告のメールをくれる。たぶん銀行・信用金庫というのは覚えることの多い業種だろう。大変なんだろうなあ。でも、そんな中、時間をみつけて図書館で本を読み漁っているらしい。いいぞ。社会に出たら本を読もう。異文化に触れる手っ取り早い手段は、本と映画、それから音楽。もうすぐ山粧う秋ですから、本を持って紅葉狩りに出かけましょう。
そういえば、白洲正子の『近江山河抄』、そのケースはなんと満開の紅葉だった。この本も日本文化を知る上では欠かせない一冊です。装幀は田中一光さんだったかな。この箱入りタイプは絶版ですが、同じ内容の本が講談社文芸文庫で読めます。こちらは菊地信義さん装幀。もちろんこちらでも十分に楽しめます。
◆昨日は、スノードール・カフェの柚木康裕さんと、静岡県立美術館のカフェで「密談語」。そういうことなんですね、秋の戦略。 ふむふむふむ 「風景」やら「景気」やら「景色」の話と現代美術談義で、午後一から囲んだテーブルに、あっという間に長い夕陽が射し込んで来る。
美術史的には、キリスト教の単なるお飾りとして描かれてきた風景(背景)は、そこから独立の兆しを見せ始めるのが17世紀。そうして19世紀になってやっとロマン主義が風景そのものを、人智を越える超自然として捉えるようになった。もちろん日本はそれよりも約一世紀以上も前に「風景」を先取りしていたし、中国の山水は更にその上を行く。もともと中国の風景も、「風景」ではなく「思想」だった。目の前に広がる自然を写実的に描こうなんてしていなかったのだ。切り立つ山、流れゆく大河、大空をゆく雲は言ってみれば思想のアイコンなのだ。
本来「景気」とは、ある場から立ちのぼる気のことであり、その活力あふれる場の気配が「景色」なのだ。「景気が良いね〜」というのはその活力を支えているひとつ、「経済」にのみスポットが当たり、「景気が良くて、儲かっちゃってさー ニヤニヤ」という経済的な意味として使われるようになったもの。本来景気とは、場の持つエナジーのことなのだ。
そうして、「わたし」と「他者」の間をつなぐ媒介者であるメディアを、柚木さんがある呼び方をされていて、なるほどと納得。そのキーワードも併せて秋が深まったころすべてが解禁ですかね、柚木さん。
◆きょう土曜日は、二つの仕事の打合せを終えて、その足で静岡大学G藤さん、K池さん、静岡県立大学H野さんと、編集会議。やっと霧が晴れてきた。ね、かなり楽しいプランでしょ。ワクワクする仕事でしょ。大変ですが、やればやっただけ成果が出ます。この先、取材を重ねていって「いや〜 大変だな〜」と思ったところが、あとから振り返ると実はいちばん楽しい分部です。大事なのは細部の工夫。細部が全体の「らしさ」を創くり出しますよ。これで良い、というときの最後のさじ加減が肝心です。お目見えは、11月頃かな。
バックナンバーはここ↓から。「表示件数」を「100件」に選択すると見やすくなります。