平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

『あまがえるさん、なぜなくの?』〜池上理恵 絵本の仕事 2008/08/18

KAERU


図書やその他の活動で大変お世話になっている池上理恵さんが知人といっしょに翻訳された『あまがえるさん、なぜなくの? 韓国のむかしばなし』(キム・ヘウォン文 シム・ウンスク絵 池上理恵+チェ・ウンジョン共訳 さ・え・ら書房)がやっと手元に届いたのでさっそく拝読。ちなみにこの絵本は、2005年少年韓国日報優秀賞、2006年韓国出版文化大賞 それぞれの賞を受賞している。

わたしはこれまでかなりの数の絵本を読んできた。もちろんその中には、幾度となく開く絵本もあるけれど、まった開かなくなってしまう作品もある。それらを取り混ぜると(いつの間にか)自宅にあるだけでも約3000冊の分量となる。けっして名作主義ではないけれど、やっぱり長く生き残っている作品には良いものが多い。
ただし、わたしはみんなが自明の事実だと思っている「名作ゆえに生き残る」という説をあまり信用していない。名作でなくとも生き残る作品は間違いなくある(名作でも版元が潰れたりして日の目を見ない絵本もある)。というか、長く生き残っているものをみんな名作だというには少々無理があると思えるのだ。みんながよく知っている漱石にだって、太宰にだって、三島や芥川や賢治にだってパッとしない作品はある。村上春樹にだって、あれれ?と肩すかしを食う作品はあるだろう。あのイチローだって生涯アベレージで四割打つのは大変だろう。そう考えれば当たり前のことだ。

で、今回池上さんが翻訳された『あまがえるさん、なぜなくの?』は、そんな中、かなりの確率で時代を超えて生き残る真の名作だろうとわたしの直感と経験は教える。なぜならこの絵本は民俗学であり、サイエンスであり、日韓をまたぐ大陸伝承がモチーフになっていて、しかし、そんな理屈はおくびにも出さず、しかもまずはきちんと「子どもが読める絵本」として成立しているからである(もちろん大人が読んでも良いけれど。なぜいちいちそんなことを書くかと言えば、最近絵本という形体をとった「子どもが読めない絵本」が多すぎるからだ)。

では「子どもが読める絵本」とはどういったものか。それはとにかく送り手の云いたいことが読み手の子どもに真っ直ぐに届き、それでいてイメージが限りなく広がっていく世界観をいう。イメージはむしろ限りなく広がった方が良いが、メッセージは真っ直ぐ届く方が良い。わたしはそう思っている(現代アートの一部はそこをゆるゆるにして堕落した)。それが絵本というメディアの持つ力だ。そこが存分に活かし切れているかどうかが、わたしの考える良い絵本の判断基準だ。

とにかく本文中、子どものわがままによって死んでしまう母親アマガエルのくだりは、全く予想していなかった展開だし、大人が読んでもショッキングである(良い絵本は、たとえあらすじを書いたとしてもびくともしない)。作者はそこを逸らさないで真っ直ぐに投げてくる。そうして、それが日本にまで広く伝わるアマガエル伝承につながっているかとおもうと、かなり興味深い。これはサイエンスのメスが入った民俗学である。ちなみに本書のテーマは「親不孝」。どきっ!

池上さんが更にすごいのは、その「アマガエル伝承」のマザータイプを日本国内にも広く拾い集めて、韓国の物語と重ねて検証している点だ。これは間違いなく民俗学的アプローチである。この論文的視点はぜひ大学生にも学んで欲しいし、わたし自身が学ぶべき点でもある。本当に手にして良かった一冊である。

尚、私の知る限りでは、池上理恵さんは慶応義塾大学で哲学を学び、卒業後はそのひとつとして図書館関係の活動をされてきた。また1989年からは「静岡自然を学ぶ会」を主宰し、日常の「ふしぎ種」からサイエンスの扉をひらき、科学のおもしろさを一人でもおおくの人に伝えることをされている(わたしも万華鏡講座を受講させて頂きましたが、とにかく材料やら現象やらすべてが感動的でした)。この20年近く続く「静岡自然を学ぶ会」は、既にそうそうたる研究機関やサイエンティストたちとのコラボするという実績をもつ。

ところで、池上理恵さん、あれだけの実績を一堂に俯瞰できるブログかサイトはないのでしょうか。

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池上さんの講座でつくったダンシングストロー(写真は部分)。本当はなんていうネーミングなんだろう。

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◆日々連打する「脳内探訪」だが、それらを読み返すと、いったい「わたし」は何を云いたかったんだろう、という日が結構ある。それでも「何か分からないもの」を求めて「わたし」は書き続ける。太宰治の短編『待つ』の主人公の気分である。また時折、読んでくださる方から感想などを頂くが、まことにありがたいことである。日々一定のボリュームの文章をアップするというのはかなりしんどい作業だが、書くことで見える世界が必ずあると信じている。やっぱり書かなければ考えもしなかったことがほとんどだ。
 よし、これを書こう、と最初から決めてかかることはまずない。そのために事前のメモをとることもまずない。パソコンに向かって何某かを書き出すと自然と筆が走るのだ。そうして、そうか、自分はこう考えていたんだと、自分の中の他者に気付かされる。ただただその繰り返しである。


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