平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

モモエリちゃんとエビちゃんに見るおっさんのためのファッション時評 2008/08/18

momo2


 Hちゃんと話していたら、この間のわたしの記事(二つ前の脳内探訪http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/579.html)を受けて「エビちゃんは彼をナンバー1で選ぶけれど、モモエリちゃんはオンリーワンで選ぶでしょう。その違いかな」ということを教わる(本当かどうかは二人とも知り合いではないので確かめられない)。
 「エビちゃんファッションは、それなりにお小遣いさえあれば誰にでもできるけれど、モモエリちゃんのアゲ嬢ファッションはソートー気合いが入っていなければやれないし続けられない。エビちゃんはひとクラスで十人が目指すけれど、アゲ嬢はせいぜい一人か二人ね」と三十ウン歳のHちゃん。そもそも「気合いだ〜!!」が違うというのだ。
 赤坂真里の『モテたい理由 〜男の受難・女の業』(講談社現代新書)を読むとエビちゃんを評する下りにこんな文章を見つけた。「その人『自身』を『羨まれる』ライフスタイルタレントというよりは、夢や幻想を人々が『投影しやすい』、まっさらな素材」(P104)となる。おっさんが驚くのは、エビちゃんは「憧れるモデル」ではなく自分を投影する「まっさらな素材」というというキーワードである。
 なるほど、これを受けて前述のHちゃんの発言をわたしなりに補足すれば「エビちゃんファッションは、それなりにお小遣いさえあれば誰にも邪魔されないで、どなたにもできちゃう素材そのもの」なのだ(平野にはできないけれど・汗)。だってエビちゃんは自分の欲望を投影する「パーフェクトな着せ替え人形」なんだもん。エビちゃんファッションはage嬢ファッションに比べて世間一般に受け入れられやすいという力学的構造を有するのだ。
 しかしですよ、世のおっさん諸君 モモエリちゃんだって、衣装やアクセサリーのデザインや販売をしているんだから、自身が「まっさらな素材」に徹していた方がモノが動くんじゃないかなぁとわたしなどはパッと考えてしまうわけですよ。いかがですか。
 ところが両者が明らかに違うのは、エビちゃんは生活感を一切出さない「都会の無表情型を演じている」のに対して、モモエリちゃんは彼女のブログからも分かるように自分の子どもをどんどん出してくる。おまけに都会ではなく「静岡市に住んでいる」ということも公言している。いわゆる「ジで行く田舎の感情型」なんですよ。それにも係わらず引っぱりだこの大活躍でしょう。その手の人たちが大好きな言葉で云えば「まったく新しいタイプのカリスマ」の誕生なのです。そこにみんながひどく共感しているんですよ(彼女のブログを読むとすごくよく分かる)。その「生活感の見せ方」と「生活感の見せ方のボリュームとバランス」がモモエリちゃんの真骨頂なのだ。だからそれを利用して(利用するのは版元だけど)「age嬢ママのためのファッション誌」まで臨時に出てしまうのである。
 いずれにしろエビちゃんもモモエリちゃんも、もはや膨大に消費されるファンションの記号なのである。
 しかしなんですね〜 飛ぶ鳥を落とす勢いのage嬢を語るときに、その対比に(今更)エビちゃんを持ち出すなんて、やっぱりおっさんは古いわね〜 と その筋のみなさんからは冷ややかな目で見られそうである。

 以上、おっさんのためのファッション時評のコーナーでした。じゃんじゃん。


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