平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

激暑に想い出す京都は宝鏡寺

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もう20年以上前になるだろうか。その年はちょうど今年のように、ちょっと動いただけで背中に白糸の滝のように幾重にも汗が流れ落ちる激暑が続いていた。わたしはまだ広告会社に勤めていて、自分が担当する雛人形屋さんから依頼を受けて、『宝鏡寺・人形展』(於・西武百貨店)という催しを企画した。

京都は上京区にある宝鏡寺は後水尾天皇が入寺してから歴代の皇女が住持となった由緒ある寺で、門跡尼院光格天皇遺愛の品をはじめ、多数の人形を所蔵していて別名「人形寺」とも呼ばれている。そう、この宝鏡寺に残っている人形を展覧会用にお借りするために、わたしを含め一行四人は汗を光らせながら人形寺に向かったのであった。
人形寺に到着すると我々は促されるままに、ある襖絵の前に立った。それは円山応挙とその一門による「狗子菫図」という襖絵で、そこには今まさに動き出さんばかのかわいい狗子が描かれていた。
応挙は生涯多くの襖絵を描いたが、なかでも狗子を好んで描いていたのは有名な話だ(兎も実に良い)。このことから応挙と人形寺との深い結びつきが見えてくる。 
それからもう一つ。打合せをした部屋の四方の襖に描かれていた春夏秋冬絵図が私のこころを強く惹きつけた。春夏秋冬が東西南北に割り当てられたその襖絵に抱かれた私は、部屋の中央に立ち、プトレマイオスの天動説よろしく自分を中心にぐるぐると回転しながら四季の風景を鑑賞した。その鑑賞の仕方がいちばん適していると感じたからだ。まさにめくるめく季節のうつろいを、たった十数畳の部屋で生け捕ることができるのだ。
ところで絵師にとって、襖に描く場合と、屏風に描く場合とでは、そこにはどのようなメディアの違いを意識するのだろう。もちろん好みもあれば、時代もある。あるいは技法の問題もあるだろう。
屏風の場合には基本的に六曲一双で描かれる。それは六つの画面からなる屏風がひと組になって物語が展開するのだ。さらにつくりが山折り谷折りになっているので、手前と奥、手前と奧というようにシーンが交互にやってくる。絵に奥行きを与えるということは、そのまま物語の奥行きということでもある。それは物語の起伏とも起承転結とも言い換えられる。そうして、屏風というのは持ち運びが自由であるというメディア的特徴を持っている。どんな景色の場所にも持ち運べるポータビリティーアートなのだ。その点、掛け軸などと同じである。
一方、襖はどうか。元々襖はハメ殺しで、持ち運びはできない。いわゆる壁画、障屏画の類と同じだ。常にあるべき場所に、ある方角と意味をもって存在する絵、それが襖絵なのだ。それは東西南北と深い関係を持ち、青赤白黒とつながり、春夏秋冬と切っても切れない間柄にある。その襖を背景に何かを興したければ、人や季節の方がそこへ近づいて行く必要があるのだ。いわゆる季寄せである。それはわたしがやったように自分自身が北極星となり季節をぐるりと見渡す行為のことでもある。

さて、肝心の『宝鏡寺・人形展』は、かつてないほどの集客に成功し、大きな話題となった。ただ残念なことは、会場にその四季を移した襖絵までが再現できなかったことだ。いやいや、そもそも四季という大宇宙を感じたければ、メディアの特徴からいっても、やはり自らが宝鏡寺まで足を運ぶことが肝心なのだ。

uchiwa

彫刻家・前島範久さんの木彫が我が部屋にやってきた。少しでも頭がましになるようにと智慧の神・フクロウを選んでみた。

maejima


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