平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

『安倍七騎』をゆく

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著書『安倍七騎』の上に立ち、釣り糸を垂れる太公望の淺羽克典さん。

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作家・淺羽克典さんの案内で、歴史小説『安倍七騎』のふるさとをゆく。著者自らが案内する何と言えない贅沢な旅である。それは「大人の夏休み」のようにたのしい小旅行でもあった。『安倍七騎』についての詳細は淺羽さんのサイトを参照されたい。http://abeshichiki.comi.in/
淺羽さんのサイトでは、『安倍七騎』のストーリーや登場人物の相関図、物語の舞台となった現地ルポなどが写真入りで見られる。
そもそも安倍七騎とは何ものだったのかを極々簡単に書いておくなら、それは静岡市を流れる安倍川の流域で語り継がれている謎の騎士団。今川に仕えた武士団であるとか、いや、武田に仕えたのだと諸説ある。室町時代 今川家の七代目今川氏親により始まり、九代義元まで続いたとも云われる。時代を考えるなら、甲斐の武田、相模の北条、そうして駿河の今川という三つ巴の時代でもあり、その緊張が安倍七騎を生んだと見ることもできるだろう。
淺羽さんはそのサイトで「今川のあとに駿河に勢力を伸ばした武田に与した、安倍川流域の七人の剛の者を安倍七騎とした云々。私は武田家駿河統治下の武士団として、“小生の説”、小説『安倍七騎』として描いた次第です。」と云う。

とにかく充実した一日だった。
釣り糸を垂れたり(わ、山女魚だっ!)、登場人物のひとり大石五郎右衛門のお墓を巡ったり(朝倉家から八重を嫁として迎え入れるが後にこの結婚が・・・五郎右衛門が五本の矢を受けて直立のまま死を迎えた「立ン場(たちんば)」も見学)、俵峯村で望月四郎右衛門を感じたり、曹源寺という真言宗の寺で揚げ饅頭を頂いたり(みんな本堂でごろ寝。下の写真の阿形像と吽形像はこの寺の山門)、突然の大雨に打たれたり、田舎蕎麦やわさびソフトクリームを食べたり、プチトマトを頬張ったり、・・・さまざまなシーンの中でゆっくりと時間が過ぎていく。朝4時15分起床。シャワーを浴びて、6時集合。ちょっときついスタートだったが大変に充実した一日であった。参加したみなさま、ご苦労様です。淺羽さん、本当にお世話になりました。

あ、そうそう、あとは安倍七騎で映画か芝居をぜひ。商品開発もいっぱいアイデアはありますよ。

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「平野そば」の平野は地名ね。お店の名前ではありません。




雨も上がったことだし・・・

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