平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

『BRUTUS』やら『ザ・マジックアワー』やら建築コンペの話やら


◆書かなければないことが多すぎる。書いておきたいことが多すぎる。


◆逢魔ヶ時、イヤ、違った・・・薄暮・・・トワイライト、違う違う、黄昏(誰そ彼)時、えーっと、あっそうそう『ザ・マジックアワー』、昨日、三谷監督映画『ザ・マジックアワー』を観る。こういった「笑うことを前提に観る映画」は蕪村の俳句のように細部と全体を同時に観るに限る。
そこで俳優の圧倒的な力を見せつけられる。手の振動具合、鞄を落としたあとの指の軌道、走るのをあきらめた瞬間の脱力感、瞬きの予感をさせる瞼、そういった細部の観察にこそこの映画のおもしろさが宿っている。

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◆雑誌『BRUTUS』は「博物館ラブ」特集。その表紙を飾ったのは、東大出版会の羽鳥さんや矢吹さんの仕事(写真は上田義彦氏)。誠に精悍な表紙である。
http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/432.html
たまたま雑誌『Real Design』や『CASA BRUTUS』 『クロワッサン』などの美術館・博物館関係の特集が続く。それぞれが旅と絡めたり、デザインのディテールに注目したりで、特徴があって興味深い。
今後チャンスがあれば『BRUTUS』にはBRUTUS言語で「日本を代表する小さな個人美術館特集」もきちんと拾い上げて欲しい。例えば、「秋野不矩美術館」や「中谷宇吉郎記念館」や「芹沢けい介美術館」などがその一例だ。スモールサイズながら圧倒的な力を持った空間。こういった時代だからこそ今一度きちんとスモールサイズを再評価すべきである。
そのほか、先達てわたしがサイトで少しばかりご紹介した「佐川美術館」の「樂吉左右衛門館」http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/541.htmlなどは、絶対に『BRUTUS』に紹介して欲しい空間だ。あれは一見『CASA BRUTUS』の仕事のように見えるが、茶道や華道ときちんと絡めれていけば立派な『BRUTUS』特集となるだろう。どちらが引き受けるか、この微妙な差が大事なのである。
あ〜 それにしてもここに紹介されている「太地町立くじらの博物館」は以前目と鼻の先までは出かけたものの時間の関係で足を運べなかったのが残念。また国立民俗博物館は以前ある仕事でそのバックヤードを見せて頂いたが、その人類がつくりだしてきた多様と多量にはただただ舌を巻いた。

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◆「ちばえん」さんの本のお仕事を拝見する。今回彼女が担当したのは2冊のイラスト。
一冊は『晩嬢 〜バンジョーという生き方  晩婚・晩産の30代以上女性』(プレジデント社)山本貴代著 のイラストレーションだ。
そもそもこの「晩嬢」というのは今わたしが係わっているある編集もののテーマと非常に被っている。
婚活、成田離婚、熟年離婚、自立婚、通い婚、週末婚、別居結婚、非婚、遠距離結婚、事実婚、主夫婚、できちゃった婚、ジミ婚、ワークライフバランス、ロマンチック・ラブ・イデオロギー、マルコウ、行かず後家、オーバーステイト、友だち夫婦、DINKS、夜這い、パラサイトシングル、マタニティ・ウェディング、シングルマザー・・・今や結婚は既存の概念だけでは捉えきれないほど多様になっている。その中で「晩嬢」という切り口を見つけて来たのは著者の力だろう。最新のデータもたくさん載っていて好感が持てる。
でもこの「晩嬢 〜バンジョー」という新しいコンセプトを前面に押し出すなら、間違いなくちばえんのイラストを表紙に持って来るべきだろう。ひと言で云えば、この本の顔は綺麗すぎるのだ。「晩嬢」の持つイメージは目次を追う限り、少なくともわたしにはこの表紙とは違って映る。シャープでおしゃれなんだけれども、もっと力強い存在感が欲しい。具体的に云えば、ちばえんのイラストが本全体をぐるりと取り巻いているといった装幀だ。むしろカバーと表紙が入れ替わった方がよかった。
しかもこの手の最新データをふんだんに使い、時代を分析している本ならなおのこと「最大瞬間風速」をいかにおこすかを造本の段階できちっと計算しなくてはならない。もちろん帯も含めてである。漱石や古井由吉を売るのとはやはり違うのである。
本の表紙というのはただタイトルの級数で頑張ってもいかんともしがたい場合がある。造本というのは、一冊単位で考えながら、書店に並ぶという競合の中でイメージしなくてはならない(そんなことはわかっていると叱られそうだ)。そういった意味でこのブックデザインは、デザインの全体性という意味で、決定打に欠けてしまったような気がする。これがポスターのデザインというなら未だ納得がいく。何なら2冊のプロットタイプをつくり、実際の書店に並べてみてから判断すべきではなかったのか。内容もイラストレーションも良いので非常に勿体ない。

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もう一冊『はちきん修業記 訪ねて候』(NKJ 渡辺瑠海著)のイラストをちばえんが担当した。この本は2007年5月~8月まで、高知新聞朝刊学芸面で日々連載されていたエッセイを一冊にしたもの。そこにイラストで伴走したのがちばえ。イラストも多少は描きためることは可能かもしれないが、こういった連載の恐ろしさはわたしも身にしてみて解っている。またこういった和のテイストをカラーで仕上げていくのは(単行本収録時にモノクロに)並大抵の力では無理である。
ちなみに「はちきん」とは高知弁で、男にも勝る勢いのある女性を意味するらしい。
尚、以前ちばえんさんの作品展にお邪魔したときの記事は・・・
http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/464.html

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◆大阪の雪破兄貴おすすめの『鬱の力』(香山リカ+五木寛之 幻冬舎新書)を読んでいたら、なるほどという文脈にいくつも出会った。
その一つは、「鬱」という言葉のもつ、そもそもの意味だ。
わたしはそれを、「何かの力が働いて動けない(動きたくない)状況」といった意味だと理解していた。ところが辞書で調べてみると、何とその第一義は「草木の茂るさま。物事の盛んなさま」とある(「鬱蒼とした」という言い回しがそれをよく表している)。これでは漠然とおもっていたこととはまったく逆ではないか。例えば「あきらめる」が「明らかにする」ことだったり、これ以外にもまだ思い込みがありそうだ。日本語とはそういう側面を常に抱えている。
これで思いついたけれど「古くて新しい日本のコンセプト」という考え方で、エッセイを書かせてくれるところ、ないですかね。

◆そういえば思い出したけれど、今からちょうど10年前、「静岡朝日テレビ」の建築コンペにユニットを組み、コンセプトメーカーとして参加した。建築とのコラボはそのときが初めてだった。
結果は不採用、惨憺たるものだった。わたしがそのときコンセプトとしてぶつけたのは「太陽(と月)」を建築に取り込むという仕掛だった。テレビ局は「時間」という概念とは切って切れない業種。わたしはそこで「昇り行く朝日」や「移りゆく季節(太陽の傾き)」を提供することが、テレビ局の使命であると考えた。いわゆる「季寄せ」という考え方である。昔これを専門にやっていた人々を「聖」(日知り)といって、幕府や天皇家とも直接つながっていた。他の放送局では、「昇り行く朝日」をコンセプトに掲げることはできない。朝日テレビだけに許される考え方だ。これだ!と思った。
そこでまずは太陽(すなわち朝日テレビの「朝日」)が昇る東側にある仕掛を施す。そうして南向きに開口部を広く取り、刻一刻と移りゆく時間をそのロービーに日時計、月時計として反映させるという案だ。もちろん移りゆく季節がそこでは感じられるようにしたいと提案した。だが、結果は大手ゼネコンの案に持って行かれた。決定した案の「芯を貫くもの」はいったい何だったんだろう? わたしの浅学では、未だにちっとも見えてこない。

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◆M塚さんが送ってくださった摩訶不思議な「薔薇バラ小包」に感激。同封されていた門前仲町みなとやの亀せんべいをいただく。バリバリバリ。幸田文ね〜、やっぱり共鳴したね。

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◆本日の収穫。このところ一日おきにこの恵み。

◆昨晩ある打合せの席で、おっさんであるMさんがぽろっと言ったことで一同腹を抱えて笑わせてもらった。
「男っていつまでも自分がそこそこモテると思い込んでいるんだよね〜。A子さんもB子チャンもけっきょく今はまるっきり音沙汰無し。あのときには、Mさんについていきます、ぐらいのことを言ってくれたのにさー。他におもしろいことがあると、平気でそっちへふら〜と行っちゃうんだ。あんなに毎日メールや電話があったのにさー」。
おっさんとは勘違いの連続の中で生きている動物なのである。そうして、人一倍寂しがり屋さんなのである。よーく理解しておくように(笑)

呼吸するのも忘れて、原稿用紙六枚分も書いてしまいました。まだ他にも読んだ本のことなど、書き足りないが、締め切りが・・・


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