空海と平田雅哉
真言宗の開祖・空海を単なる宗教家とみてはならない。それは「総合力を身につけることで、専門性に特化する」ということを地でいった特異な人物とみるべきで、むしろ幅広くさまざまなものに精通した故に、中でも密教が特化したと解釈すべきなのだ。空海を「一宗教家」とみていると実は肝心なことが何も見えてこない。
かれは、1200年前の総合プロデューサーである。日本語はもちろん、中国語や梵語にまで精通し、それらを自在に操ることで長安の地においてわずか二年間で恵果和尚から密教を授かった。また帰国後、満濃池(讃岐の国)の土木工事をプロデュースし、そうして教育の分野にも目を向けて綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)という学びの場を市民のために用意して文化国家の礎を築く。
忘れてはならいのがその筆の力である。王羲之(おうぎし)を型としたまことにのびやかで独創的な筆法は「飛白体」を生み、隷書と草書の間に分け入りその間をつくっていく(空海一派が「いろは歌」をつくったという説は根拠がない)。茶人空海としてその名が挙がることは少ないが、嵯峨天皇と茶会を楽しんだことは知る人ぞ知る「事件」である。また長安より曼荼羅を持ち帰ったことで、その後の宗教界のみならず芸術世界へ与えた影響は計り知れない。
まだこの場に詳しく記すことはできないが、重要なことはこの空海をいかに現代に蘇らせるかである。そうして現代アーティストたちとどのように結びつけるかという視点である。新しいことを興そうとする際に、使い古された「便利な道具」ばかりを見ていてはいけない。「チャンス」と「タイミング」を味方につけるべきだなのだ。わたしはその型を「胎蔵界」と「金剛界」の両界曼荼羅に見つけている。
・・・・というような話をさせて頂いた会場となった京都は北区の某着物屋さん(兼ご自宅)の建築は、かの工匠平田雅哉の手になる建築であった。
今では平田雅哉を知らない人が多い。建築に興味のない方ならまだしも、建築を志す若者が、雑誌『CASAブルータス』あたりでカット&ペースとした知識を駆使し、安藤忠雄やコルヴュジェ、ロイドやミースを得意顔で語るも、「平田雅哉?いったい何者ですか」と、こうである。しょせんそんな程度である。そのような不届き者には『大工一大』でも読んでおけと薦めたい。文字が苦手な者はレンタルビデオショップに走って『大工太平記』でも観ておくようにと薦めたい。わたしが今、かなり横柄な物言いになっていることは百も承知、だがそれは平田を知っていることの自慢ではない。平田雅哉の名は、福沢諭吉、野口英世、樋口一葉、夏目漱石(二千円札はだれでしたっけ?(笑))と同じくらい覚えておかないとまずい人物だからである。その作は誰もが挙げる「吉兆」「なだ万」「熱海大観荘」で有名だ。
きょうこの場では、その着物屋さんを会場に、平田建築の「造作」「間」「景色」「借景」を少しだけ楽しんで頂きたい。
会場となった着物屋さんがこしらえている生地の一つ。矢絣文様を織で出し、その上に現代の波文様を染めで入れていく。
イタリア製のバスタブにつかれば、窓越しの庭が借景となる。またその窓も全開となり、露天風呂に早変わり。きっと雪の日は最高だろう。
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◆滋賀県の草津は栗東で偶然入った「茶ノ木カフェ」はまだ若いオーナが経営されている空間であった。その特徴は、「靴脱ぎ」である。靴を脱ぐ、という日本文化についてもいつか書いてみたい。それはなぜ、あの世に旅立つ人間が、敢えて靴を脱いで揃えるのかという問題でもある。
上の写真はムカデ退治の伝説で有名な三上山。
※追記
靴脱ぎといえば、以前こんな文章を綴った。
http://www.s-liv.com/column/kotonoha/03.html
栗東歴史民俗博物館(手前かやぶき屋根)の奧に見えるのがカフェ。『茶ノ木カフェ』は栗東市立図書館のすぐ隣り。
◆28日早朝、庭の池で生まれて間もない子亀を発見。春になってから三匹目。
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