やっぱりアナログはいいな〜 〜アナログとしての写真機 LEICAとNikon F3 2008/06/24
久しぶりにノートPCといっしょに外出して、カフェでお茶をしながらこのテキストを打っている。打ち合わせと打合せの合間だ。空気はかなり湿気を含んではいるものの、やっぱりオープンエアは気持ちが良い。
ところでわたしは未だに小刀で鉛筆を削って使う人である。カメラといわず写真機といったりする。ポットではなく魔法瓶と綴ることもある。アウトドアではなく敢えて物見遊山と記す。
そんなわたしだが最近、けっこうデジタルに浸食されている。まず典型的な例を挙げるならケータイがそうだ。録音機材はいつの間にかICレコーダーに取って代わられた。カセットははるか昔にMDになり、今ではi-Podのお世話になっていて、若者ぶってダウンロードで音楽を購入したりもする(なぜこういうときに『i-Pod』だけは商品名なんだろうね。使い捨てカメラを『写るんデス』と言ったり、サインペンを『マジック』というのと同じで、商品が圧倒的な存在感を持ち、マーケットを占有するようになるとこうなる。いっときわたしの中で外国人といえばイコール『アメリカ人』だった)。気付いていなくてもパーツレベルでいえば、自動車も冷蔵庫も洗濯機も電子レンジもテレビもそのすべてが例外ではないだろう。そもそも今こうして向かっているパソコンがそうだ。このサイトにアップする写真だってほぼ100パーセントデジカメ素材を使っている。社会の仕組みじたいがそうなっているのだから、もはやそこから逃れようがない。
先日、あることがきっかけで仕舞い込んでいた写真機を取り出してきた(ときどき取り出しては空シャッターを切って、シリカゲルだけは替えている)。かつてはいくつかの機種を使っていたが、けっきょく手元に残したのはNikon F3(アポロと月にいったカメラね)とLEICA M6(昔はこのカメラ一台分で家が建った)の二機種のみ。当時、わたしの取材現場ではF3やM6がけっこう活躍していた。写真機はコレクションの対象ではないので実際にかなり使い込んでいたし、手にもなじんでいた。Nikon F3は三台目だ。そうして、だいたいの撮影データが頭に入っていて、対象や周辺をちらりと見ながらシャッター速度や露出、補正を簡単に決めることができた。あ〜、こういう感覚を今の自分はかなり手放しているな〜とおもう。
おもしろいのは、デジタルカメラにおいては、シャッター音を完全に消し去ることはお茶の子さいさいだが、それではすこぶる評判が悪い。なぜならそこにはシャッターを押しているという身体感覚が伴わないからだ。それではどうするかというと、電気的にわざわざシャッター音をあとづけしているのである。
人間は体の外側に道具をつくるたびに、身体からその機能を手放していく。それがたぶん産業革命以降急速に進んだのだ。
デジタル感覚は大事にしながらも、できれば少しだけでも以前の感覚を取り戻したいと最近強く思っている。さて、M6にリバーサルフィルムを入れてみよっと。
【予告】静岡限定情報! 7月5日のテレビ静岡『テレしず通り パロパロ』を必ず見てね。普段見られない「ある映像」が流れるかもしれませんよ〜。うひひ(笑)
あ、もう時間だ、行かなくっちゃ。
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