『かっこいい大人になろう入門』 前口上
◆さて、いよいよ(ご要望にお応えして)開講します。その名も『かっこいい大人になろう入門』。
最初にはっきり云っておきますと、この講座は「生意気なガキ」を量産することを目的としています。そうして「大人になろう」なので基本的には中学生ぐらいが、この場、この講座の主なお客様です。でも「わたしはまだ〈かっこいい大人〉になりきれていない」という「大人の方」も分陰を偸(ぬす)んで読んでみてください。
『かっこいい大人になろう入門』というからには、そもそも「かっこいい大人」ってなんだ?という基準のようなものが必要になるでしょう。
「かっこいい」というのは、むろん人によって捉え方がさまざまです。
柔道やK1、マラソンランナーのチャンピオンがかっこいいんだという人もあれば、歌舞伎役者のような色っぽさにかっこいいを感じる人もいる。高倉健や吉永小百合のような熟して枯れていっている俳優がかっこいいと力説する方もいるでしょう。やっぱり漱石やドストエフスキーやニーチェでしょう〜とガンとして譲らない人もいて当然です。あるいはアインシュタインのような時代を変えたサイエンティストがかっこいいと評価されるべきだと唱える人もある。いやいや、まだまだ若いけれどやっぱりキムタクね、ですかね(笑)。
そこでわたしはわたしなりに、こんなふうに考えました。
それは、年齢に関係なく、いくつになっても、何歳でも「積極的に学ぶ姿勢を持った人」、それをかっこいい人と位置づけました。
わたしの観察では、学ぶことが上手な人は「遊ぶこと」にも長けています。そう、ここではその遊びについてもこだわっていきます。特に日本の場合、遊びというのは単にplayという意味ではありません。遊ぶとはそもそも「すさぶ」ことで、それは荒々しさを言います。「すさぶ」は「遊(すさ)ぶ」であり同時に「荒(すさ)ぶ」なのです。この荒々しさには確かに日本のヒミツようなものが隠されいている。
しかし荒々しい「荒魂(あらたま)=荒御魂(あらみたま)」といった瞬間、もう一方でわたしたちは「和魂(にぎたま)=和御魂(にぎみたま)」を思い浮かべます。この両方を行き交う感覚が大事なのです。まぁ、この辺りのことは徐々に語っていきますね(大丈夫、中学生諸君、講座ではもう少しやさしく語りますから)。
それからもう一つ。あらかじめ断っておきますが、この講座は「全うで正義感あふれる大人になるためのモラルの伝習」を目的としていません(それをお望みの方はカルチャースクールのマナー&モラル講座へ)。ここでは「正しい」「正論」「正義」「正当」というものには敢えて固執しません。「正当」よりもむしろ「正統」にこだわります。場合によっては「正統」よりも「色っぽい」を優先します。なぜなら広く文化をつくってきたのは正義よりもむしろ色気だったりするからです。わたしは最近、政治や文化、教育の現場に色気や艶がなくなってきたなあと嘆く人のひとりです。云ってみれば、この講座の目的は世の中に「色気」や「艶」や「妖しさ」を取り戻すことを目的としているとも云えるのです。
話題は多岐にわたります。哲学あり、美術あり、建築あり、科学あり、文学ありです。今までこの「脳内探訪」に綴ってきたことと重なることが多いかもしれませんが、お許しくださいね。
主に、中学生のNORIくんやHARUちゃん、KAZUTOくんやMAYUMIちゃん、それから最近鉛筆を持ったことがないというSHIGE坊や、本など読んだこともないNARUちゃん(おいおい、頼むぜ〜)、君たちに向かって書いていきます。もちろん、文中には難しい事柄や言葉が度々出てきます。敢えて難解な言葉を使う場合もあります。それはいじわるをするためではありません。その方が物事の「核心」が伝わるからです。辞書を横に置いて、索(あなぐ)りながら、とつおいつ自ら考え、そうして稽(かんが)えながら読んでください。だって、そういう行為の積み重ねがそもそもわたしが基準とする「積極的に学ぶ姿勢を持ったかっこいい人」への実践なのですから。
そうして、(主に)中学生諸君、ここで学んだことを自分だけの問題としておいてはいけません。ここで学んだことを武器に「学ぼうとしない大人達」に対してどんどん斬り込んでいってください。「なんでもすぐにわからないと問題を放棄するかっこわるい大人達」を軽蔑してください。「生意気なガキ」だといわれても良いのです。そういう陳腐であららかな言葉でしか反撃できな大人をこらしめてやりましょう。生意気なガキは、学ばない大人よりも数千倍かっこいいのです。先生をつかまえて、どんどん問いかけてみてください。「鬨(とき)を作る」、それが君たちに与えられた「ミッション」です。
「かっこいい」は平たい言葉ではありません。かっこうとは、「構え」のことで、外見でもあり同時に内面です。勘違いしないでください。くどいようですが、わたしがこの場で語りたいのはモラルではありません。それはむしろモラルから逸れていく「動向」のようなものであり「気配」です。
これから、ときには考え方、あるときには方法によって「かっこいい」を語ります。
それから、既に「かっこいい大人」と自負されているみなさま、なんだかやなタイトルだな〜 カンに障る前口上だ!と思われるかもしれませんが、まあブログゆえに また平野が何かやってるよ〜ということで、どうぞ大目に見てください。
最後にひと言。
「そもそもこんなことを書くお前自身はかっこいいんだろうな〜!」と詰め寄る野暮な輩が必ず出てきます。どうぞ、お好きなように(笑) 江戸川乱歩や桐野夏生は実際に人は殺していません、とだけ答えておくとします。
それでは間もなく開講します。
※ 月に二本程度、第一夜、第二夜と指折り数えながら講座は進行します。その間に、通常の「脳内探訪」が挟まれていく予定です。
※ブログというメディアゆえに、いったん書いたもの(特にて・に・を・は)を書き直すことがあります。ご了承ください。
※どんなものになるか、最初から全構想があるわけではありません。それもブログの勝手気ままなところだとおもってお許しください。