「脳内探訪」 VS 「学区探訪」2008 2008/05/28
中学生がその場で描き始めたアトム
ひとつ前の「脳内探訪」で、エッセイストで国際的なラリーでも大活躍するの山村レイコさんち子ヤギの名前が「アトム」で、ポニーの名前が「ウラン」だということはご紹介したけれど、きょうはわたしのアトムとウランのコレクションをのぞき見してください。
これはほんの一部。これ以外に手塚治虫先生の大量のマンガがあり、直筆原稿や書簡類がある。
実はこれらのコレクションは博物館や図書館の展示にお貸ししたりしている他に、地域の中学生が「学区探訪」という総合学習?の一コマとしてときどき見学に来てくれる。すなわち我がコレクションは「地域の名所」になっているということだ(笑)そのうち富士山と並んで静岡県では二番目の世界遺産に登録されるだろう、しめしめ(授与式に着ていく服はもう決めています)。
で、きのうときょうは、その「学区探訪」の日(今日の午後の部はこれから)。
感じたことをひと言だけ書いておこう。
最近の生徒は総じて質問ができない。では興味がないかというと、決してそういったわけでもなさそうである。けっこう喜んでくれている。もっとも怪しいおっさんが、鬼気として我が趣味について語りはじめれば、中学生も引くだろうな〜(笑)
質問というのは、自分がどこが「わからない」かと言うことがわかって、そこへ全身全霊で挑んでいく行為のことだ。ぼーっとしていてはいけませんぞ。それから学びの場の質問というのは、その場に居合わせたみんなを代表して訊く「代表質問」なわけだから、全員にわかるように整理して質問すること。これが共同で学ぶということだ。
そうそう、君、今の質問は課題の立て方がいいね〜。
質問するっていうのは、実はけっこう高度な能力だ。例えばだが、「こんなにアトムばかり集めてどうするんですか?」という質問があったとしよう。実はその質問は「愚問(ぐもん)」という種類に属する。もちろん、そうおもうのは素直な気持ちだ。確かに質問するだけエライし、自分の素直な気持ちを相手にぶつけるという行為はわかる。でもね、質問には確かに愚問というものがあるのできちんと覚えておくように。
それはマラソンランナーにぶつける「走ってどうなるんですか?」という質問とよく似ている。君らに「おやつなんか食べてどーするんですか(栄養なら給食で摂れるでしょう〜)」「ドッチボールなんかして将来あなたの何の役に立つんですか〜」と質問するのと同じことだ(震災や鬼畜に遭遇した被害者遺族に対して「今どんなお気持ちですか」と口元にマイクを差し出す行為、これらに共通するのは「想像力の欠如」というものだ)。
実はその問いに対しては、エベレストから帰らぬ人となった登山家ジョージ・マロリーというおっさんが見事に答えてくれている。
その答えとは、「Because it is there. それがそこにあるからさ(「それ」はエベレストね)」。このおっさんは何を言いたかったかわかるかな? 「理由なんかない」と云っているのだよ。もっというとね、それは「問いの立て方がまずい」と云っているんです。
おうっと、なんだか長くなりそうだから今回はやめておくね(笑)
「学区探訪」は一時間が目安らしかったが、みんな二時間近くも滞在していった(先生、叱ってはいけません)。なかなか帰らない(笑) ならば、わたしもコレクション講座をはじめなければ。
ものを集めること(そもそもコレクションするというのは茶の湯のね・・・)、 眺めること(風景というのは景色じゃなくて思想なんだよ。景色を景色として描くのは云々)、 観察すること、 分類すること、 続けること、 考察すること、 発表すること・・・即興ではじまった「平野青空教室」であった。ちゃんとメモ取ってたな〜。よしよし。最後は新聞にまとめるらしいけれど、わたしのことは書かなくていいから、「数寄の文化」につて書いてくださいね(笑)
「脳内探訪」vs「学区探訪」の場だし、中学生だからって手をぬきませんぞ。
そうそう、大人のみなさん、中学生だからといって甘くみてはいけません。中学生も教えかた次第でかなり高度な「学ぶという姿勢」を獲得します。わたしにはその「実感」があります。
また来てね。大人になたらいっしょに一献傾けようぜ(わたしは飲めないけど)。
地面に腰を下ろし、必死でメモする中学生諸君。あるエクササイズをしたら後半は質問のラッシュ(笑)
二日目 午後に来たチームはたくさん質問していったな〜。
君たちのお父さんやお母さん、何歳?
「38」「41」「43」「39」・・・おいおいおい みんな年下かい(汗)
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