平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

一柳綾乃のこぼれ落ちる水彩画

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音楽は音の鳴るところを音楽だと思いがちである。むしろ音の鳴っていない「間」が音楽を奏でているともいえる。
同様に、日記というものは書き込まれた日だけが日常であり、また特別な日ではない。むしろ「書き込まなかった日」に日記の持ち主は、そこで何を考えていたのかを考え、何を考えていなかったのかを考えるべきなのだ。

一柳綾乃の作品展『keep on drawing』に足を運んでそう感じた。
彼女は日々自らの「内側」に湧き出してくる感覚を、日記形式で絵にしている。そこには短いながらも言葉が添えられ、必然的に日付という「後先」が刻印される。この手法に行き着く前は、興味の対象が内側ではなく「外側」にあったという。そんなある日、「わたしは自分の内側を描きたくなった。そうして約一年をかけて自分の絵が〈外側から内側〉に向かった」のだという。

わたしの考察では、それは彼女が「ある対象」を描いていて、それを「外側」と感じた瞬間から、「内側」が発生したのであって、もともと描いていた外側という対象があったのではない。そうしてそこから反対を向くように「約一年をかけて」内側が誕生していったのでもない。人は「外側」という概念を抱えた瞬間に「内側」を同時に出現させてしまうものなのである。

彼女の作風は、筆や写真で何かを写すようなものではない。ハサミやノミを使って刻み獲るのでもない。それは掬っても掬って指の間からこぼれ落ちてしまう日々の出来事を描こうとしているようにみえる。ここで注意しなければならないのは、手に残っている方が彼女の絵ではないということだ。指の間から紙の上にこぼれ落ちた出来事こそ、彼女の真の世界観で、作品なのである。

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一柳さんのお仲間とも色々なお話ができました。感謝申し上げます。そうして何よりも、こういった若手の作家に、積極的に場を提供していくスノドカフェの柚木さんという方の底力を感じます。お料理もとってもおいしかったですよ、聡子さん。
http://www.snowdoll.net/cafe/

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