岡村昭彦の「シャッター以前」
「シャッター以前」の人である。カメラを握る前に、膨大な資料にあたる人であった。ベトナムから帰還し、アイルランドから帰国し、わずかな時間をつくっては、タクシーを飛ばして古本漁りをする人だった。だが、いわゆる古書マニアなどではない。手元に手繰り寄せた書物の多くには、自らの書き込みがあり、背表紙タイトルが刻まれ、一冊一冊ときちんと向き合っていた痕跡がある。その蔵書16.000冊に囲まれながら、国際報道写真家 岡村昭彦の生き様を稽えた。
以前より大変お世話になっている静岡県立大学附属図書館へお勤めの増田曜子さんからご案内をいただき、同校が主催した「岡村文庫」オープニング記念式典・講演会「国際報道写真家 岡村孝彦が書物に託した未来」に足を運んだ。
岡村は云う。「総合的に教養を高めることによって専門性を高める」。わたしはこの言葉にひどく共感した。
現場に赴く際の、下調べという行為を避難する人がある。現場に出てその場でキャッチしろ。体で感じろ。下調べは学ぶための足枷になる。なるほど、理屈はわかる。だがその論理に欠けているのは逆に「リアリティ」ではないか。では逆に問いたい。それは死と隣り合わせの現場を前にしても有効な言説かと。そういう人は自らが戦場に出かけていく場合にも下調べなど無意味だ、現場で感じろ、と自らを諭すのか。
「戦場と学びの場は別でしょう」と言うだろう。なるほど、そういう人の学びの場はきっと戦場ではないのだろう。それはそういうことを意味している。だが岡村が真にすごいのは、リアルな戦場も、何十回と行われていた「普段の勉強会」という現場も、間違ったら死と隣り合わせの真剣勝負の場と捉えていたことだ。わたしが都合良くそんなふうにまとめているのではない。彼の蔵書や膨大な手書きの資料という「リアルな現場」が何よりもそれを雄弁に物語っている。
悍馬が嘶くようにシャッターを切り、命燃え尽きた人 岡村昭彦。多くの人に足を運んで欲しい文庫のオープンである。
赴く先々の資料を膨大に読み漁る。書き出す。調べ上げる。それは死と隣接する現場。
岡村を国際報道写真家にした『LIFE』
表紙タイトルも手書きで書き込まれている
テーマによっては、国立国会図書館が所蔵している資料を調べて一冊にしている。