「亀の甲」という地名
朝五時半起床(というか原稿書きで寝ていない)。キーボードの打ち過ぎで右手が麻痺しているため猫のように左手だけで顔を洗い、寝ぼけ眼(まなこ)で車に乗り込む。
仕事で掛川市へ向かう。
打合せ前に掛川市で大変お世話になっているOさんのご案内で、亀を祀った神社を参拝する。
以前から気になっていたJR掛川駅の南口にある「亀の甲」という地名について興味を持っていることをOさんにお伝えしたところ、たちどころにいろんなことを段取りしてくださった。そうしてその先に見えてきたものが「亀の甲にある亀を祀った神社」であった。
書物(『掛川詩稿』)に寄れば、「この地小掛川の上流に属したれば、川股に対して上の川と云い転訛にや云々」とあって、要は「上の川」が転じて「亀の甲」となったとあるが、これは若干「眉に唾テカテカ説」である。というのも江戸以前の古地図が手元にないので断言できないが、ただしはっきりと言えることは、掛川という地はずっと水に困っていた地で、この辺りは川というよりも溜め池文化なのである。実際、今でもおおくの溜め池が存在する。掛川市に新幹線が止まる前までは、そこら辺に亀がうろうろ歩いていて、容易に捕まえることができたという。
それはとても小さな神社で名前を「天神社」という。当初は天神様を祀っていたらしいが、それがどのタイミングか、どんな理由からか亀を祀る神社になったのだという。
社の内壁には、縦が一メートル近くもある大きな海亀の甲羅が掛かっていた。種類はおそらくタイマイであろう。長い年月でおおくの甲羅が紛失したり、傷んでしまたということだが、現存する亀の甲羅は見事なサイズであった。いずれにしてもその巨大な甲羅はここが以前は海底であったことを物語っているのか(掛川層群という地層が語るように数百万年前までは海底だった。なんと200万年前のクジラの肋骨化石まで発掘されている)、それとも大きな亀を神の象徴して祀ったことによるとも考えられる。「亀」の語源は「神」から転じたという説も根強い。もちろん神事として亀の甲羅で占ったということとも深く関係してくるだろう。
じっくりと社を拝見した後は、今でも亀がいっぱいいるという山中の溜め池にご案内頂いた(他の池では最近ミズクラゲも発見されている)。その溜め池はあまりにも広く、亀を見つけるサイズではなかったが、ウシガエルの大きなオタマジャクシを大量に発見、そうしてその周辺に広がる大自然に圧倒された。見渡せば、なんと懐かしい日本の里山が広がるではないか。段々畑の田植え前の水入れの風景。本当に日本にうまれてきて良かったとおもう瞬間であった。
それにしても「天神社」を管理してくださっているSさんのご協力や、地域の拠点になっている施設のOさんやHさんの大変なご協力を得て、かなりのヒントが頂けた。それは驚くほどすばらしい協力体制であった。打合せ前の至福の二時間、心より感謝申し上げます。
午後は静岡市内へ戻って、大学へ。予定がバタバタと変わる。目が回るようだ。学生の就職相談、単位の相談諸々を受ける。Tさん、我が家の亀池の掃除、次回お願いします。ひどい状況です。