平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

カレーうどんを食べながら進化論につてい考える の巻

いただきま〜す

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NISHINAさんが送ってくれた『ダーウィン展』(国立博物館)のオリジナルペンを前に、自分の卒論を思い出した。
『ミミズによる活性汚泥の研究』。それはダーウィンの晩年の興味とも深く関わる研究課題である。極簡単に言えば、ミミズが痩せた土を自らの体を通過させることにより肥沃な土に変える、その生成過程と条件を、定量的・定性的に観察・検証し、それを社会モデルに応用させるための研究だ。今でこそ当たり前になってしまったが、かなりエコロジカルな視点をもった研究であった(あれからウン十年 遠い目・・・)。理学部化学科に籍を置きながら、かなり生物学的な視点を必要とする研究だったんだなぁと思う。当時はもちろん、今では容易にできる学問の領域を乗り越えるということはとても大変なことであった。今なら、もっとこうしたい、ああもしたいというアイデアや視点がいっぱいある。もっと真面目にやっておけばよかった。心から悔やまれる(後悔というフィルターで人生は濾過され、堆積していく。はい、ご心配なさらないように。私は前向きです)。

何か新しいことに興味を持つ。そのジャンルを俯瞰する。そうして、改めてその門前で、人類の叡智がつくりだしてきた研究開発や思索の膨大な「ボリューム」に目がクラクラする。クリティカルな学問の前で眩暈を起こす。なぜなら、何か新しいことを発見しようとしても、我が身に与えられた生命という時間の中では、既知の学問を理解し終えることさえ不可能だからだ。何という人類の叡智だろう、と。
その一方で、人々の考え方はほとんど何も進歩していないんじゃないかとさえ感じることもある。わたしたちは未だに「自分とは何か」「本当の自分ってなんだ」「ピュアな自分を探しに行こう」という「キャンペーン」を盛んにはっているからだ。ギリシア以前からテーマの立て方がまったく変わっていない。わかったフリをしてきて、実はわたしたちの構築してきた哲学は何も理解・継承されていないのではないか。そういった意味で人類はな〜んにも進化(いや、これは進歩と記述すべきだろう)などしていない。

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進化といえばわたしを夢中にさせたのが、90年代半ばに烈しく展開された、リチャード・ドーキンスとスティーブン・ジェイ・グールドの進化論における論争である。
わたしはドーキンスの「DNAが自己を利己的に複製することによって種が進化してきた」という説に度肝を抜かれながらも、グールドの「断続平衡説」にイタク共感した。生物の進化は、ダーウィンの進化論の云うように徐々に起きるのではない。それは「急速に起きる」のだ。生物は長期間にわたって安定的に種を保っているが、あるときに急激な変化を起こし、その間に新種が誕生するという見方が断続平衡説だ。従来のダーウィンの自然淘汰では、生物は何世代もかけて生息環境に適応することで進化を遂げる。その際生息環境はその生物が生存・繁栄するうえでもっとも有利な形質をフルイにかけるというかたちで進化に係わる。それがグールドのラディカルな言説にかかると、「進化において重要なのは『偶発性』である」となる。(しかし彼は、自分の説はダーウィニズムへの反逆ではなく、あくまでもその延長にあることを強調する)。
それに噛みついたのがドーキンスだ。そうしてグールドに反論することによって成立しているのが彼を一躍有名にした「利己的な遺伝子」ということになる。
そもそも二人の「衝突」の舞台となっているのが「カンブリア紀の種の大量発生(カンブリアン・エクスプロージョン)」で、これも極々手短に書いておくと、ドーキンスはカンブリア紀に大量発生する生命に対して、これより先だってゆっくり進化してきた種がカンブリア紀に(うまれるべくして)大量発生したと唱えたのに対して、グールドは、動物門はこの時期に偶発的に、しかも急激に進化を獲得して大量発生したと見ているのである。
もちろん両者にはそれぞれ課題が残る。ドーキンスはなぜ先カンブリア紀の化石が残っていないのかを説明しなければならず、一方グールドはなぜその後同様の規模で種の大量発生が起きないのかをきちんと説明しなくてはならないのだ(だが、グールドは既にこの世にいない)。

いささか専門的な領域に踏み込みすぎた。

長い時間をかけて積み上げられてきた村の知恵が突如として襲ったサイクロンや大地震によって瞬間に失われる。アレクサンドリアの大図書館もロンドンの街も未曾有の災害によって一夜にして消え失せた。今や分単位で植物の種が滅んでいくとも聞く。こういったことを人間の愚かさを寓話仕立てで語ることは容易である。だがわたしはその手法をあまり好まない。文明という進化論をどの射程で語るべきなのか、いざ向き合ってみると、けっこう頭が重い話なのである。

ごちそうさまでした!

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