平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

覚えてしまいなさい、中学生諸君! 〜渡辺崋山と永村茜山

senzan


島田市博物館(静岡県)の博物館協議会委員をしている関係で、企画展「渡辺崋山と永村茜山 SENZAN」の図録を送っていただく(企画展は既に終了)。
渡辺崋山はつとに知られた人物で(中学の美術の教科書には出てくるでしょう? KANDAくん)、関東を中心に活躍した文人画家である(文人画を大成したのは、池大雅とか与謝蕪村ですね、BUNちゃん)。崋山は谷文晁に師事し、西洋画を学び、そこへ写生画の手法を積極的に取り入れて新しい文人画をつくりだした。同時代、関西では木村蒹葭堂(彼のサロンで学びたかった)や浦上玉堂がいる。
その渡辺崋山に学んだのが金谷に安住の地を求めた永村茜山(1820-1862)である。「ながむら・せんざん」、聞き慣れない名かもしれない(こういうときにきちんと覚えてしまうのが記憶のポイント。いい、JUNくん。後からでは絶対に覚えられません)。
同博物館が今回の展示のために静岡県立美術館から借り受けた巻子装『人物図巻』は何と茜山15歳の作品である(もしかしたら中学生諸君とほぼ同じ歳?)。筆はまだまだ硬いが、その模写の線からは既に才能が迸る。そうして、更に驚愕すべきは「伊豆七島巡視」である。
江戸後期、日本には外国船が多く訪れるようになる。その対策の一環として幕府は老中水野忠邦を中心に地図改めの命を実行すべきプロジェクトを推進させる。その一つのクルーに参加したのが若き茜山であった。
中でも興味深いのが茜山筆による「伊豆七島絵図」(伊豆プロジェクトには天保九年三月二十八日から六月十六日まで参加)。三宅島や八丈島、神津島などがほぼ真俯瞰から描かれていて、他の島々との関係を示すために紙が天地左右に後付けで貼り込まれている。地図の精度も、なかなかのものである(伊能忠敬ばかりを有り難がっていてはいけません、SAORIちゃん。 ところで中間テスト大丈夫?)。この絵からも彼は相当な空間認識力があり、アイデアマンだったことが伺える。
おー! 『甲子夜話』(かっしやわ)の「三宅島婦女の図」は、茜山だったんですね〜。発見多々。
このほか茜山は漢画を中心に多くの作品を残しているが、なぜか三十代の絵が予想以上に少ない。どこかに大量に眠っていないだろうか。我が家の蔵を探してみよう(ところで蔵はどこに?)。
永村茜山、少なくとも地元静岡ではもっと多くの人々の口の端に掛かっても良さそうな人物であり、作品群である。

※しかし、括弧だらけで読みづらい文書である。文中に登場する中学生諸君、真似しないように!!。
※中学生諸君。文中に登場する人物名、並び難しい漢字や専門用語は自分で調べてね。ほらほら、放っておかない。このチャンスに覚えてしまってね。


おまけ画像 ↓   
レゴでつくられた富士山に、密かに置かれたシロクマ。本文に関係ないけど。

rego

現在地:トップページ脳内探訪(ダイアリー)

サイトマップ