平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

『マージェリー・ケンプ 黙想の旅』 〜久木田直江の仕事  2008/05/07

kukita


『マージェリー・ケンプ 黙想の旅』(慶應義塾大学出版会)を読む。著者は静岡大学人文学部 久木田直江教授(少々面識はあるが、もちろん平野のサイトなど読まれたことなどないだろう)。

本書は著者が英国エクセター大学大学院に提出した学位論文をベースに書かれている。
とにかく私はこの書物により「神秘主義」とキリスト教の関係がやっと整理できた(もっと早く読んでおけば良かった。悔やまれる)。そうして神秘主義を軸にしながら全ヨーロッパ史、とくに英国の中のキリスト教史がやっと一望できた。まことにすばらしいロジックであり筆の運びだ。
また多くの書物にあたってもうまく説明されていなかった「観想(contemplatio)」と「黙想(meditacyon)」の「神学的意味の差異」が実に明瞭かつ端的に記述されている。もちろんこの両者は分かちがたく結びついており、あえて「わけないで語る」という記述的側面がある一方、語る場によっては一緒くたにすることで誤解を生じてしまうディスクールなのである。

先を急ぐ。

そもそも14-15世紀英国に生きた神秘家マージェリーとはいったい何者なのか。彼女が綴った書物には何が書かれていたのか。その書物はヨーロッパキリスト教史の中でどう位置づけられ、どのように評価されているのか。それにあたってキリスト教図像学と照らし合わせながら彼女の言動や行動(霊的経験が内包する神秘性)をどのように読み解いていけばよいか。そうしてそれらに対して著者はマージェリーをどのように歴史の中で再評価していくのか・・・本来であれば、魂の救済と身体の救済というその間にも分け入って(当時の薬学の話も避けては通れないだろう)言及しておきたいところだが、すべてはこの一冊の中にあるので、あとはみなさまの読書にお任せしたい。

といいつつも、あとはみなさんにお任せしたいというのもいささか乱暴な気がするので、本書を読むに当たり、頭に入れておいた方が良いだろう、物語のマザータイプをご紹介しておこう。なかでもキリスト教を語る上では欠かすことのできない巡礼のマザータイプである。読書の道標とされたい。

▼故郷、立脚点からの旅立ち
主人公がある必要に迫られて故郷を離れる。ここで注意深く読んでおくと何かの「兆し」が示されている場合が多い。ただし、まだこの時点では目的は明確に分かっているわけではない。このとき主人公に加わるものがいて(あるいは大きな助言や背中を押してくれる書物など)、たいていは連れだちとなる。

▼困難と遭遇 
旅はなかなか容易に進まない。難関苦渋が待っていて、その都度その問題を乗り越えるために主人公は考え抜く。このとき必ず意外な者(みすぼらしい姿、意味不明の言葉など)が現れ、チームを助ける。または意外な者が現れて助言する。

▼目的の察知
自分が探していたもの、失ったもの、知らなかったものに気付く。それはひょんなきっかけで知らされる。その探していたものは父母であったり、宝物であったり、またはなぜか敵対する者であったりする。

▼彼方の出来事
かくて敵地や遠方の土地での戦争(自我との格闘なども)が始まる。そうしてきわどいところで勝利や成果をおさめる。主人公はふとここで稽る。「こうして闘っていることは、自分にとってなんの意味があるのだろう」と。それをクリアしたときに求めていた目的と会う。そして、それは意外な打ち明け話や啓示とつながる。

▼彼方からの帰還
その地で勝利や成果をおさめた主人公は必ずその地にとどまることを周囲の者から勧められる。だが、それを振り切って主人公は帰還する。このとき帰還を応援したために犠牲になる者も出る。




ところで本書を読みなが度々思い浮かべていたのが、フランスの歴史学者アラン・コルバンである。
私はかつて彼の著書『記録を残さなかった男の歴史 〜ある木靴職人の世界 1798-1876』と出会って衝撃を受けた。
アラン・コルバンは、ある村の出生届けからランダムに選び出した名もない木靴職人ピナゴに白羽の矢を立てる(もちろん「名もない」とは歴史に名を残すような仕事をしていないという意味である)。そうして彼の暮らしていた森や周辺を調べ尽くし、彼の生きた環境や時代背景を細部にわたって渉猟し、検証していく。周辺を明らかにしていくことにより、逆に「ピナゴ」という人物が徐々に明らかになっていくのである。
これは「ルビンの壺」(1921年)に似ている。「ルビンの壺」とは同じ絵が、視点を移動するだけで婦人の横顔に見えたり、あるいは壺に見えたりする例のあの心理テストの図像である。それは曖昧模糊とした木靴職人ピナゴの情報にもたれかかることなく(都合の良い解釈を避け)、彼の呼吸した周辺や時代という分母を徹底的に調べていくことにより、逆にピナゴという人物の輪郭をどんどん明確にしていく手法である。事実ピナゴについては、生没年、妻をめとり子供がいたということくらいしか分かっていない。しかし、この手法により次々と木靴職人ピナゴ像は明らかになっていくのである。
そう、『マージェリー・ケンプ 黙想の旅』はそのコルバンに優るとも劣らない手法と膨大な資料に裏打ちされている。まことに圧巻である。薄っぺらな歴史書を百冊読むよりも、この本一冊ときちんと向き合うことをお勧めしたい。
そうしてひとりでもおおくの方に、久木田教授のように「自分の将来を決定してまうような人物との巡り会い」が訪れることを願って止まない。

なお、本書を読み進めるにあたっては、A3を4枚程度貼り合わせた特大サイズの用紙をデスクに置くのが良い。
そこには、一段目「年代」、二段目は「マージェリーの年譜」、三段目には「神秘思想の動向」、四段目「キリスト教史」、五段目は「ヨーロッパ・英国史」という表をつくっておく。
読み始めるまえに手元にある資料で上の項目をざっくりと下調べしておく。もちろん分かる範囲でかまわない。あとは本書を読み進めながら、記述されている項目を順次書き込んでいくのだ。心配いらない。この本がきちんと導いてくれる。適宜、巻末の索引で細部を検証されたい。
この作業によって膨大な知識に溺れることなく、読書中に必要項目を何度も確認できる。いわゆる参加する記述読書である。読了時には、人に語って聞かせられるだけのマージェリーの年譜ができあがっているはずである。


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