これからいったいどうしていきたいか
私がこのサイトを書き始めて既に十ヶ月以上が経った。これは(部屋も片づけないで)一日半に一本の割合で何某かを書きあげている計算になる。かる〜く本一冊を越える文章を書き殴ってきた(仕事の原稿を入れたら、いったいどのくらいになるだろう)。
そういう中で一日1000件を越えるアクセスを数えることも多くなってきた。どこかのサイトへリンクを張ってくださいとお願いした記憶もない(これは私の営業スタイルとも深く関係している。まだリンクを張らせて頂いていないみなさま、ただ怠惰なだけです。お許しを)。いったい、どこのどなたがこんなに理屈っぽいサイトを眺めてくれているのだろう。私にはどうしても10人程度の友人の顔しか思い浮かべられない。
私はそもそも「つるむ」のが苦手な人間である(信じられないという人がいるかもしれない)。そういった意味ではライオンでなくシロクマである。猿や羊ではなくゾウガメである。したがって組織名を冠に何々一派を名乗るのが苦手なのである(よってビジネスが下手である)。他の人が、こんなイベントをやって、こんな大勢の人が集まったんだぞ〜!!といっても、実はあまり羨ましいとは思わない(思えない。最近特に。まことに困った偏屈オヤジである)。ある意味、集客を目指す仕事をしている人間にとっては致命的なことかもしれない。
ひとりでごろごろしながら本を読んでいるのが好きだし、芝居が観たいと思えばどこへでも観劇に出かけていく。その軽さが何とも心地がよい(誘って頂かないと、いくらでもひとりでうごめいている)。
ある大変著名な方から「平野君はこれからどうしていきたいんだ」と問われたことがある。この方は「平野にはいったいどういった将来設計があって、どんなふうに成功したいか」と問うたのだろう。その問いに対して私は「良く生きたいだけです」と答えた。私の中で良く生きたいとは、「良く学びたい」ということとイコールである。私は別にビジネスで大成功したいわけではない(無理だし。要するにイメージできない。南アフリカのダイアモンド鉱山と中東の石油採掘所の権利を二つ三つ買って、週末はスイスの別荘に・・・あ〜 ダメだ、ステレオタイプだ)。最初から「去所」あるはずもない。
かの著名人は私の返答に不満だったらしく呆れた顔で「もっと具体的なイメージを持ちなさい。イメージを強く持った方が夢が実現できる」とアドバイスしてくださった。ありがたいことである。
私は敢えて反論しなかったが、ご心配には及ばず「良く生きたい。良く生きたいということは、よく学ぶこと」、それを「強くイメージしている」のである(かなり具体的なイメージだと私は思っている)。
ちなみに、ここでいう「良く生きる、よく学ぶ」の「良く」は「正しく」という意味ではない。そんなものは幻想である。どんなに正しいと思っていることも状況や時代が変われば、がらりと音を立てて崩れていく。私がイメージしているのは学ぶ「姿勢」であり、学ぶ「勢い」のことである。ついでに書いておくと「良く生きる、良く学ぶ」というのは、決まって「遠回りすることを強制」する。日々フライングの連続である。
ゆえに「カレー屋をオープン(夢)」の榎戸さん、「(平野は)未だに何をしているかわからないひと http://curry123.exblog.jp/7960415/」というのは「最高のホメ言葉」なんですよ。さんきゅ。