平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

山中他界  2008.4.25

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私が小学生の低学年のころ(昭和40年代前半)、村のみんなから“ひずりさん”と呼ばれる乞食者(ほかひびと)が住んでいた。近所といっても山の中の掘っ建て小屋に住んでいて、どうやら奥さんとふたり暮らしだったように思う。子どもたちが興味本位でその掘っ建て小屋をのぞきに行ったことがわかると、親からはこっぴどく叱られたものだが、好奇心は誰にも止められなかった。

私ははじめて見たその光景を今でも忘れることができない。まず子供の度肝をぬいたのは、その掘っ建て小屋の庭ともいうべき場所には半径2メートルぐらいの野石を積んでつくった池があって、なんと竹でつくった雨樋のようなものを伝って池へ四方八方から小さな音を立てて湧き水が流れ込む仕掛けになっていた。この光景は全くもって異様な世界だった。いや、見たこともない山中他界であった。 

さらに木の枝でつくった窓枠から中をのぞき込むと、蔦でつくったような籠が山積みになっていた。親たちのいうことを総合して考えると、どうせどこかで盗んできたモノだろうと勝手に思っていた。ひずりさんはいつもその籠をリヤカーに積んで商いをしていたようだが、子供たちは“ひずり ひずり おこんじき~”とからかいながら、彼のリヤカーに飛び乗ったりして遊んでいた。だが、ひずりさんはいつもにこにこしているだけであった。

ひずりさんはいつも右足を引きづっていた。足を引きずるから「ひきずり→ひずり」とみんなから呼ばれていたのだろうか。これはなかなかすばらしい推測だと自負していたし、成人してこの話が出るたびに私は、先の滝の記憶とセットにしてこの仮説を得意になって話して聞かせていた。

ところがある日、はたとひらめいた。これは「ひきずり→ひずり」ではなく「ひじり(聖)→ひずり」ではないだろうか。聖の語源は、「日知り」であるとも言われており、特別な日、等別な場所を知っているという意味である。また鉱脈や水脈などを知り尽くした民のことで、これが山師の原型になった。そう思ったとたん、あの掘っ建て小屋にはふさわしくない四方から湧き水を集めてくる池、そうしてあの蔦で編んだ籠のことが思い浮かんだ。それは聖の特殊技能ではなかったか。

ある日、いつものようにその掘っ建て小屋をのぞきに行ったらそこにはひずりさんらはいなかった。もぬけの殻だった。その日から友だちたちと毎日のように覗きに行ったが、ついにひずりさんらは見かけることはなかった。そうしてハッとしたのだが、あの湧き水の池がとり壊されていた。聖の痕跡を消し去ったのだろうか。彼らの行方は大人たちに聞いても誰も知らなかった。マロウトであり、マレビトである“ひずり”はどこかへ移動したのだろう。

トルストイが、バッハが、ガンジーが、芭蕉が、タルホが、明恵が、日蓮が、一遍が、道々外才人(みちみちげざいにん)やジプシー、牛首たちはなぜそれほどまでに道を移動し断食し乞食になりたがったのか。そこには間違いなく神の神託が見え隠れするのである。

(※写真はイメージ)

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