季節はずれの幽霊の話 〜幽霊にはなぜ足がないか
酒と骨董が好きで手品が好きな人だった。わたしが大学生ときに大酒がもとで肝硬変が見つかり、それをほぼ放置したまま肝臓癌になって逝ってしまった。
そんな父親には密かなたのしみがあった。家族が寄り合いやら某かの用事で出払う夜を待って、家中の灯りをすべて落し、私の横に座り込んで怪談噺をはじめるのだ。この横に座り込む、というのが実は正面からすごまれるよりもずっと怖いということをご存じだろうか。顔の表情が見えず、声のイメージだけが恐怖の世界を想起させるからだ。そこいるのに何も見えない。だからこそ恐怖は倍増するのだ。怪談噺は怖がらせる相手の横に腰を下ろすに限る。細かなテクニックとしては、センテンスの途中に少しの間を挟み込んだり、少し首を傾げて視線を相手の後側に逸らす(能のくもりのようにね)。これだけで恐怖は倍増する。円朝の話芸にもこの方法が巧に盛り込まれていたに違いない。やっぱり間ですな。
怪談は夏の風物詩?いやいや、コンビニのアイスのように季節に関係なく私を恐怖のどん底に落とし込んだのだ。今思い出すとそれは他愛もない父親の作り話や、17世紀の中国で蒲松齢によって書かれた『聊斎志異』やラフカディオ・ハーンを適当にアレンジしたものだった。とはいえ、人一倍怪談好きなものだから、『聊斎志異』などは実に良く読み込まれていて鬼異編から神異編、狐異編、人異編、物異編までそのバリエーションは見事なものだった。とにかく古今東西・物の怪噺ひとり総本山で、楳図かずお、日野日出志、水野涼子、稲川淳二、みんなまとめてかかってこい、というような田舎の語り部だった。
そんな父親には十八番があった。『怪談牡丹燈籠』も繰り返し噺したがやっぱり『真景累ヶ淵』を噺しているときがいちばんいきいきしていた。むろん円朝の話芸や内容の忠実さには遠く及ばないのだが、小学生の私を恐怖の世界へ引きずる込むには充分過ぎた。私が恐怖のあまり先回りしてその粗筋を話そうものなら、父は逆上し全身を使ってさらに恐怖度をアップさせた。
またあるときは、『怪談牡丹燈籠』を演じた父親が下駄の音を響かせてやってきたところに水を差すように、なぜ幽霊には足がないのに下駄の音がするの?と聞いたが最後、父親はその場から姿を消し1時間以上も戻らなかった。私は恐怖のあまり灯りをつけようかと何度も思ったが、幽霊よりも怖い父親の顔が浮かび暗闇でシクシク泣き続けた。この風景の方がよほど怖くないだろうか?
ところで幽霊にはなぜ足がないのだろう。 居場所を見つけられないため? ブー 静かにやってきた方が怖いから? ブー 父親曰く、中国の『十王経』という経に、その出典があると。死者は十王と呼ばれる裁判官を巡り、罪を償うために足を切り落される。そのため幽霊には足がないのだそうだ。
今やその父が幽霊になってしまった。時間のあるときにコトの真偽をきちんと調べてみようと思っている。