聴診器の季節 〜古代 人は植物に憧れていた
動植物の本は、売るのも買うのも神保町の鳥海書房へ行け、というのはセドリの間では常識だ。私はカメの本も、イモリの本も、ナマズの本も、植物や鉱物の本もほとんどぜ~んぶこの鳥海で手に入れたし、その後このジャンルに興味を持つトリガーになった『桜伝記』や『本朝巨木伝』ともここで遭遇した。
静岡には日本でも一二位を競う釣り本コレクターのOさんがいて、この人から私は鳥海のことをコト細かく聞いては鳥海詣を繰り返した(その後体調をこわし、やむなくコレクションを手放す)。
この際だから云っておくが、下手な博物館の企画展に高いお金を払っていくよりも、この鳥海のショーウィンドウをのぞいていた方がよほど目の肥やしになる。私はここで高木春山や岡本一抱、宇田川榕庵 貝原益軒、シーボルト、ケンペル、フロイス、ビュフォンらの博物画をたっぷり鑑賞したし、今でもの喉から手が出るほど欲しい木内石亭の『雲根志』(軽自動車一台分)なども、ちょっと無理を云ってケースから取り出してみせてもらった。あぁ、ヨダレが・・・。これだけ目が肥えた書店になるとバサッと束ねた本の中にキラッと光る掘り出し物が入っている“ばさねた”がほとんどないのが残念だけれど。何てったって世界の動植物の古書相場はこの鳥海がつくっているのだから。
そういえば今思い出した。こんなにアウトドアやネーチャーゲームというのが流行るずっと以前、知り合いの看護師S戸さんに白い目で見られながら聴診器を買ってもらった。
「ヒラノくん、こんなもの何に使うの?樹が水を吸い上げる音を聴くって、あなた、ウソおっしゃい」。今でこそこの方法はいろんな本で紹介されているが20年以上も前にこんなことを試みる人物はほとんどいなかったんでしょう。私はそれから木々が芽吹くころになると、この聴診器を取り出しては樹の気を全身で感じていたのである(他には使わなかったよ)。
インドの『話す樹』という絵を見たことがあるだろうか? 私は実物を見たことがない。だからこの絵の大きさがまったくわからない。だが生命樹、宇宙樹とも云うべきこの絵には、葉っぱと並んでヤギやロバ、ウサギや犬や猫の顔や人までもがその枝から芽吹いている。生命の百花繚乱図だ。注意深く見るとその太い幹は蛇が天に向ってとぐろを巻いている。蛇は天と地をつなぐ神の使いであることがすぐに読み解ける。
ここで意識しておきたいのが、植物の葉、芽、ガク、実は、そのまま人間の歯、目、額、耳にスライドしていることだ。それに、平安時代までは、人の手足を「えだ」と呼んでいたのも興味深い。要は人は植物を畏怖したのである。
神話世界、生命世界はすべて入れ子状態である。それがある視点やオーダーによって前へ来たり奧へ下がったりしながら、常に入れ替わっているのだ。
ちょうど聴診器で、樹が水を吸い上げる季節がやってきた。