西脇順三郎は オリジナリティなんてつらまん!という
「おいらの出身中学は中勘助先生作詞の校歌なんだぞ~。エッヘン」
大学生の私は何かの話題をきっかけに校歌自慢をはじめた。ゴーコンの席の話である。するとW大学 新潟出身の女の子が身を乗りだして「私の高校なんか西脇順三郎よ」といいながら、そのさわりを歌ってみせた。が、私は西脇順三郎の偉大さがその場ではさっぱり解らなかった(が、その女の子の素敵さは解った)。
私はその夜ゴーコンに参加した女の子を誘うのをやめて、余ったワインボトルを抱えて日文専攻の先輩の下宿を襲撃した。先輩は「この、うつけ者。俺なんか西脇大先生を学ぶために文学部に入ったようなもんだぜ」と少々語気荒く熱弁を揮いはじめた。結局その夜は明け方近くま海苔をかじりながらワインをちびりちびりやり、先輩の西脇論に耳を傾けたのであった(あのー、先輩〜、前歯に海苔がはりつていますよ)。
私はそのころ「中原中也神田神保町ゆやゆよんの旅」にはまっていた。財布の中身はすべて中也に貢いでいた。足繁く通った神保町の田村書店の棚には、中也の横あたりに西脇順三郎の「背」が列んでいたので当然何度か手には取ったものの、貧乏学生のわたしは中也ひとりに貢ぐことが精一杯で、同時に二人の「愛人」を抱え込むことは不可能だった。そう、金銭的都合により、西脇に対しては見て見ぬふりを決め込んだのだ。
中也のつくりだす、腹に染み込む音の感覚が大好物だった。中也はサーカス小屋の空中ブランコが揺れる様を「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」 と詠ってみせて、当時貧乏学生だった私の腹をも満たしてくれた。「河瀬の音が山に来る、春の光は、石のようだ」という一節では、まだ見ぬ鳴滝の水滴に思いを馳せた。ふうっ。中ちゃん、おかわり。
音の感覚。音の方法。これはまさに詩人の命だ。そういった意味で、西脇も音の人だ。彼は音を使って“意味を広げていく方法”と、“意味を限定していく方法”この両方を意識的に用いている。「ミレーの霊も晩鐘に泣くかと思ふ」「キリコ キリコ クレー クレー」「ちょうど 二時三分に おばあさんがせきをした ゴッホ」 こんな例は彼の詩集を開けばすぐに見つけることができる(おっさんの駄洒落じゃないぞ)。
で、もう一つ。西脇順三郎の方法と視点の特筆すべきは、オリジナリティを疑い、アイデンティティに重きをおかなかったことにある。新しい作品を創造することは、ものの新しい関係を発見することだといった内容の発言を西脇は繰り返す。
そういえばあの晩、前歯に海苔をはりつけた日文の先輩も西脇のそこを指摘していたようにおもう。N先輩、お元気ですか。また西脇でノリまくりませんか。