モデルニテと春時間 〜有度サロン + 高部葉子の仕事 2008/04/20
◆有度サロンは五十嵐武士コーディネートによる苅部直、藤原帰一を終了し、本日は坂部恵(東京大学名誉教授 哲学)モデュレートによる黒崎政男(東京女子大学 哲学)との対談に入った。サロン全体がちょうど折り返し地点である。本日と来週のテーマは「日本のモデルニテ 鹿鳴館から人間天皇」。
まず坂部は今回のサロン全体を貫く「グローバリゼーション」という概念を徹底して嫌う。「ユニバーサル」(この言葉にも彼は賛同しない)にくらべて「グローバリゼーション」が抱える世界観は「ひどく暴力的」だと喝破する。また識者が軽々しく云う「ポストモダン」という定義にも睨みを利かせ、果たしてそんな時代に本当に差し掛かったことがあるのだろうか?と問いかける。
そうして目からウロコだったのは「モデルニテ」の定義。わたしはずっと「モダン」のフランス語、故に「今日的」「近代的」くらいにしか位置づけていなかった。しかし、黒崎の坂部を解説した言い方をきちんと解釈するなら、「モデルニテ」とは「今、この瞬間」なのである。時代という滝から囂々と唸り流れる現象という名の膨大な水、傷口も癒えないこの時代のこの瞬間それが「モデルニテ」なのだ。ゆえにそれは「一時的なもの」「移ろいやすいもの」「偶発的なもの」のことである。しかしこれでお終いではなく、これら意味がことの半分をなし、もう半分が「永遠なるもの」「不易なもの」を抱え込むというのだ。そうして更には「下降する」の義を抱える。すなわちここで、わたしの中では別物だった「モデルニテ」は「デカダンス」と接するのである。
なるほど〜 これでボードレールやキルケゴール(瞬間は永遠のアトム)や朔太郎(新しき欲望)が串刺しになるということか。ふむふむふむと納得。
あと一点、書いておくとするなら、坂部は天皇とサド公爵夫人をつなぐキーワードとして「ゆゆしい」を挙げたことだ。ゆゆしいとは、触れると重大な結果をもたらすこと。はばかるべきもの。そうして、畏れおおくて神聖なるものをさす。
しかし、こういった場に立ち会ってハッとするのは「当たり前」を疑うという態度である。
1+1 =2 という「厳然たる事実」を前提に、我々は高次の数式を展開する。では 1+1 =2 という「根拠」とはなにか。そう問われたとたん我々は言葉を失うのである。
↓ このケーキは展覧会のために用意されたスペシャルメニュー
◆高部葉子の「春時間」という展覧会に顔を出す。高部さんは、「静かなる熱い人」である。春風のような人だとおもって近づくと、低温ヤケドをしますよ。(ご本人がここを読んだら叱られそうだけれど・・・きっと読んでいないからいいけれど)こういう人の前に立つと、本当に自分は平々凡々だなあとしみじみと思う。この線の細い「作り出す人」にはまったく太刀打ちできないのである(はじめから負ける試合はしないけれど)。
今回は、作品を展示した空間も「静かなる熱い場所」でとてもよかった。「quatre epice」 ケーキをメインとしたカフェ。こういうお店は入った瞬間のニオイでほとんどすべてが伝わってくる。「この人って素敵」ってその瞬間に伝わるでしょう。お店もまったく同じ。スタッフの声の掛け方、間の採り方が心地よいです(こーゆー感覚的なものって「教育」で伝わるんでしょうかね〜)。ケーキのショーケースの高さや奥行きもいい。間接照明が良くて、空間の高さや幅のとりかたがいい。椅子はデンマークのウェグナーですね。CH47はシンプルだけれど憧れの的。なにより、空間に広がる声の響き方(響かせ方)がいい。これをわたしは「声を設計する」と呼びたい。
オーナーと少しお話ししたけれど、やっぱり「静かなる熱い人」でした。
高部さん、シャツは急ぎませんよ。早く着たいけれど(笑) 売れっ子なのはわかりますが秋頃にはなんとか・・・(読んでいないと思うけれど)
2009.4 こちらにも高部さんの記事を書きました。
http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/817.html
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