因縁?の写真帳
ちぇ
◆爆睡したい平野です。睡眠不足です。何とかしてください。でも時計の針が真夜中を指すと別の回路に電流が流れ出します。さぁ、そこからが平野ワールドのはじまり はじまり〜。
◆昨日ある直木賞作家とお電話で話をしたのですが、とても丁寧な方で感心しました。文章と話し方がぴたりと合っている方でした。
◆真夜中の公園の遊具は異次元の生物みたいだね。溶け出しそうだ。踊り出しそうだ。
◆ちょっと因縁話?を綴っておこう。
一昨日、ある古書店から「見て欲しいモノがあるがあるので、近くに来るようなことがあれば寄ってください」という電話を頂く。好都合にも、昨日その店の方へ向かう予定が入っていたので立ち寄らせて頂くと、テーブルの上に三冊の古びた写真帳と約十点の集合写真が並べられていた。
中をパラパラと拝見すると、その風景や状況から持ち主の職業が何となく推察される。一冊はその殆どが集合写真。もう一冊は持ち主の職場の風景。もう一冊は家族の写真だろうか。家庭や旅先、親戚が集まった宴会風景などが所狭しと列んでいる。いずれも白黒写真が天地左右を揃えて几帳面に貼り込まれている。
しばらく時間の経つのも忘れてそれらのアルバムをのぞき込んでいると、紙切れがぱらっとテーブルの上に落ちた。それは黄ばんだ一枚の名刺であった。時代を感じる。それを何気なく拾い上げてのぞき込むと、なんと・・・心臓が飛び出しそうになった。
今年の初め、友人から家を解体するのでいらない本が出そうだから見に来ないかという連絡をもらった。
さっそく足を運び、単行本を約三十冊、雑本を二十冊程度箱詰めにした。その折り、時代のついた本棚に並べてあった古い写真帳をお願いして見せてもらった。わたしの経験からいって、この写真帳の布遣いは昭和十年代のものだ。
ひじょうに几帳面に貼り込まれた写真の数々は、個人的にも興味のわく風景やニオイに満ちあふれ、仕事の資料にも使えそうな光景や色合いで埋め尽くされていた。しかし、想い出の詰まった個人の写真帳ゆえ、持ち主に敬意を払いきちんと揃えてもとあった場所へと片づけておいた。そうしてそんなことは、そのまま忘れていた。
もう、お察し頂けただろう。その友人の家で見た写真帳がなぜか、(かなり)遠く離れた古書店の、そうして自分の目の前に置かれているのだ。古書店のオヤジさんに詳しい話を聞いてみると・・・その店にあることじたい偶然のまた偶然。因縁である。ちょっとその先のことは、ここには書けないけれど(泥棒じゃないですよ)あるところを経由して図らずもこの店にやってきたのだ。そうして更に驚嘆すべきは、その写真帳が偶然にも再び平野の手によって開かれたという事実なのだ
いまその写真帳はわたしの手元にある。ご家族に戻すべきか・・・いや、ことの成り行きから考えて、今戻すべきではないだろう。それはわたしがしばらく大切に預かっておけばいいことだ。もしかしたら、また本来持つべき人に戻っていくかも知れない。そういうものなのである。
☆このところ何名かの方から「日記、長すぎない〜」という半分お叱りを受ける。反省していません。
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