平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

書誌学を目指すなら 〜手塚治虫先生生誕80年で思うこと

ATOM


手塚治虫先生 生誕80年で有象無象取り混ぜての出版の嵐である。中にはまったく出版の意図さえわからないものまである。
手塚先生の膨大な仕事を、書誌学的アプローチからメスを入れようとしているある本もその例外ではない。ただダラダラとコマの新旧を並べて比較して見せているだけで、キャプションには「そんなこと見ればわかるでしょう〜」ということしか書かれていない。これではこの本が目指そうとしている書誌学には遠く及ばない。それはドシロートのわたしが見ても判断がつく。
写真や図版のキャプションにはひどいものがある。ニコニコ笑っている人物写真に「笑顔の○○さん」というキャプションは果たして有効だろうか。少しは真剣に考えてみたらどうだろう。
そもそも書誌学を目指すというのであれば、基本的な手法ぐらいおさえておくのが常識だ(型があるから型破り ではないだろうか)。極簡単に指摘しておくならば、調査、発掘、考証、評価、保存、公開の「考証、評価」がずぼっと抜け落ちているのである。ただ事例をいたずらに長くしていくだけ。これでは単にコレクション自慢の域を抜け出ていない。企画する段階にもっと時間を掛けるべきではないか。
個人のブログならそれも許されるだろうが、出版となると目をつぶるわけにもいかない。
実は今、個人のブログと出版という境が徐々に混同されはじめている。ブログで書いたものが、そのまま何も手を入れられず出版されるケースが増え始めているのだ(もちろんきちんと書籍用に筆を入れている出版物もある)。「ブログで書いたときの気持ちを大切にしたい」という言い訳(手抜き)で、ブログ本を乱打する動きがある。手間を掛けずに売れる本をつくりたいという気持ちのフライングである。これは読者にとっても、版元にとっても、長い出版という歴史の中でいいこととは言えないのである。

atom


バックナンバーはここ↓から。「表示件数」を「100件」に選択すると見やすくなります。

現在地:トップページ脳内探訪(ダイアリー)

サイトマップ