平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

マラソンという物語 〜村上春樹とKokonoさん

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ご存じの方も多いと思うが、マラソンとは、紀元前490年 ギリシア軍がペルシア軍を破った折り、ひとりの兵士が戦場である「マラトン」からアテネまでの約40キロを走破し、勝利を報告したことに起源を発する。マラソンとは勝利の地の名であり、42.195キロにもきちんとした物語があるのだ。

友人のkokonoさんは、プロスポーツをビジネスとして支える傍ら、ご自身も寸暇を惜しんで体を鍛え抜くアスリートである。那覇マラソンや東京マラソン、ホノルルマラソンに参加して完走、それどころか常に自分のレコードを更新し続けている兵である。いやいや、ただの「ちからこぶる女性」ではなく、雑誌モデルとして活躍するほどの才色兼備で、そうしてときとして「ゴルディアスの結び目」のように度胸の座ったところもみせる(ご無沙汰しております。毎日走っていますか?)。
仕事仲間や同級生、友人知人でも、マラソンを趣味としている人たちを大勢知っているが、彼女のマラソン談義がいちばんスリリングでおもしろい。なぜか。それは彼女から「苦しい。辛い。野に伏し、山に伏し、それでも(それだから)わたしは走る」という態度が「物語」や「身体論」として伝わってくるからだ。
左右の足がどうやって会話をしながら上体を運んでいくか。心臓破りの坂を走り抜けるための沿道を埋めつくす「声援エンジン」の活かし方、云々。それらを聞いていると、フルマラソンぐらいなら自分自身も走れてしまいそうな錯覚に陥る(無理だけど)。

そのkokonoさんが以前紹介してくださった村上春樹の『走ることについて語るときにぼくの語ること』(まさにマラソンのように長いタイトル)を遅ればせながら読了した。まさに村上春樹の人生観や作品づくりに対する姿勢や方法がマラソンに重ねられながら語られていく。村上を殆ど読んでこなかったわたしにはかなり新鮮な話のてんこ盛りだ。
大団円で村上は言う。

「もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるのならこのように刻んでもらいたいと思う。
    村上春樹
    作家(そしてランナー)
    1949 — 20××
    少なくとも最後まで歩かなかった」


遐代であって欲しいと願うものの、彼の墓標にはきっとこのままが記されることになるだろう。

さらに彼は本のしりえに添える。

「そして最後に、これまで世界中の路上ですれ違い、レースで抜いたり抜かれたりしてきたすべてのランナーに、この本を捧げたい。もしあなたがいなかったら、僕もたぶんこんなに走り続けられなかったはずだ」

あれ、この村上春樹の話ってどこかで聞いたことがあるぞ、と思った。
な〜んだ、以前kokonoさんから聞いた話そのものじゃないか。

改めて『走ることについて語るときにぼくの語ること』の奥付に目をやる。
2007.10.15 初版 とある。
kokonoさんと話したことの方が数ヶ月もはやかった。

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どうやら雑誌『ランニングマガジン・クリール』5月号のインタビュー記事で、kokonoさんに会えるようだ。

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