明日は、どっちだ〜 和歌山編 2008/03/12
『月刊 PLAY BOY』なんて雑誌、久しぶりに買った(780円 新書一冊分の値段。正直いってちょっと高い)。未だプレイメイトなんてコーナーがあるんですね〜。記憶は曖昧だけれども、ここ20年買ってない(というか開いてもいない)。出張に出かけるときに鞄に詰め込んだ文庫はとっくに読み終えてしまったし、移動中に集めたパンフレット類も、あー つまらない。
で、時間を見つけて本屋に入ったら(和歌山、本屋さん少ないんじゃないですか?印象だけでものを言う)件の『月刊 PLAY BOY』が「この人の書斎が見たい!」特集だったので暇つぶしに買ってみた(かえって小特集「辞書に恋する」の方が良かった。今の時代にあって、この雑誌のミッションは果たしてなんだろう)。
石田衣良の書斎はもうしばらく見なくていいな〜。白のタイルが眩しすぎる。もう存分です。
吉本隆明の書斎も見飽きました。彼の書斎はもう何度も訪れていて(もちろん雑誌の中で)どこにどの本が並んでいるか(秘書でもないのに)だいたい把握している。
谷沢永一の書斎は、蔵書が10万冊なんですって。ちょっとした大型書店並、げっぷ。
まあ、このテの特集は右へ倣えで、登場人物の顔ぶれはもう決まっているし、とにかく記事内容も孫引きが多すぎる(せっかくなんで新しいことを訊いたらどうだろう)。
どうせなら「この人は絶対に書斎を見せない」という人のラボを紹介して欲しい(村上春樹とか小二田誠二とかジョニー・デップとか)。
特集のなかで、うんうん、と頷いたのは立川志らくの書斎の使い方かな。
「エアコンはありません。小さな電気ストーブだけ。電気ストーブって暖まらないでしょう。だから、いいんです。真冬の明け方なんて、外出用のジャンパーまで着込んで仕事してますよ。夏も扇風機だけ。快適になると、気持ちよくなって寝ちゃいますから(笑)」
これって、まさにわたしのこと。今年の冬は部屋に氷柱ができるほど寒かったけれど、けっきょくただの一度もエアコンを入れなかった。足下に置いてある小さな電気ストーブだけが暖を取る手段。この方が、頭が冴えるし、気分がいい。もうこんな生活をはじめて10年ぐらい。
和歌山から紀伊勝浦へ向かう車窓は、山、海、山、海、山、海・・・山と海しかない。いや、山と海だけがある。
明日は、どっちだ〜。
※奈良県のマスコット・キャラクター問題、全国ニュースになった静岡の「聾学校、改称しないで! 元生徒ら異議 割れる教委判断」の問題など、コメントしたことがいっぱいある。
※参考までにそれぞれの記事をアップする。またいずれコメントしたい。
聾(ろう)学校という名を残して——(朝日新聞)。こう訴える静岡県の聾者の男性からの投書が本紙「声」欄に載った。静岡県教委が「聾学校」を「聴覚特別支援学校」と改名することへの異議だった。学校教育法の改正を受けた措置だが、全日本聾唖(ろうあ)連盟は改名に反対。全国の都道府県教委の判断は割れている。
(聾学校の校名存続を訴え、署名活動する山本直樹さん=静岡市葵区で)
静岡県では、校名変更に県聴覚障害者協会が反対してきた。県教委は変更の理由を説明したが、話し合いは平行線に。県教委は2月県議会に校名変更の条例案を提出。今月19日に可決される見通しだ。
納得できない思いから投書したのは静岡市の会社員山本直樹さん(35)。1歳の頃、高熱で聴力を失った。小中学校は普通校に通い、友人や先生とは筆談や読唇で対話した。移動する教室が変更になったのを知らず、無人の教室で待っていたり、先生の冗談にクラスがわいても自分だけキョトンとしていたり。周りと意思疎通が十分にできず孤独を感じた。
高校は筑波大付属聾学校に進学。手話が授業でも使われたので内容がよく分かり、勉強が楽しくなった。同級生と笑ったり怒ったりもできた。
同校は校名を筑波大付属聴覚特別支援学校に変更している。山本さんは「静岡は二の舞いにならないようにしたい」と願う。
静岡県教委はなぜ変えるのか。特別支援教育課の名倉慎一郎課長は「一般に『聾』という字には差別的なニュアンスがあり、『聴覚障害』と言い換えが進んでいる」と説明する。
だが、山本さんは「聞こえなくてもありのままの自分で生きる。そんな私たちの誇りが『聾』という言葉にこもっている」と話す。「特別支援」という言葉は、聾者を支援される低い側に位置づけてしまうと訴える。
校名変更のきっかけは昨年4月の改正学校教育法の施行だ。学校の法律上の種別が変わり、聾学校、盲学校、養護学校は「特別支援学校」と一つにくくられた。複数の障害がある「重複障害」の子どもに対応しやすくすることなどが狙いだ。
ただ、文部科学省は都道府県教委あてに、聾学校という名称を用いてもよい、とする通知を出している。聾学校は全国に約100校あるが、文科省の調べでは、昨春時点で校名を変更したところは兵庫や広島などにある9校にとどまった。
全日本聾唖連盟の調べでは、校名を変えない方針を打ち出している教委は東京、山梨、群馬、愛知など。変更しない理由について山梨県教委は「聾文化を尊重して欲しいとの思いを受け止めた」。群馬県教委は「聾教育の専門性を重視した」と説明する。
聾学校の授業などの対話手段の中心は読唇などによる「口話法」だった。手話は禁止された時代もあったが、生徒同士の対話手段として生き続けてきた。連盟など聾者側が改名に反対する背景には、手話を学ぶ場である聾教育の専門性が揺らぐことへの不安がある。
95年には論文「ろう文化宣言」が発表され、議論を呼んだ。音声日本語から独立した固有の文法を持つ「日本手話」を一言語とし、日本手話を使う聾者の位置づけを「障害者」から「言語的少数者」へと転換した。
論文を書いた聾者でNHK手話ニュース・キャスターの木村晴美さん(42)は「聾学校は聾社会の基盤で心のよりどころ。日本語の名が変わっても、私たちは手話で『聾学校』と呼び続けるだろう」と話す。
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2月27日付「声」欄に載った投書(抜粋)
「聾(ろう)学校」という名称を「聴覚特別支援学校」に変更すると昨年末、静岡県教委から通知があった。聾唖(ろうあ)団体は反対し、話し合いを重ねた。
県議会に提案するため、ギリギリになって通知があり、話し合いは打ち切られた。
私たち聾唖者は「聾」であることに誇りを持ち、「聾学校」は100年もの歴史を重ねてきた。なぜ、県教委は「聴覚特別支援学校」が適切と判断したのか。
お願いです。「聾学校」という名を残して下さい。
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〈聾(ろう)〉 国立身体障害者リハビリテーションセンターの市田泰弘さんは、差別語とされ使われなくなった「つんぼ」から「聾者」へと、「聾者」から「聴覚障害者」へと言い換えが進み、「聾者」という言葉も「もはや使わない差別的な言い方」と誤解されていると指摘する。マスメディアでは「耳が不自由な方」という表現も使われてきた。全日本聾唖連盟の河原雅浩・教育対策部長も「聾であることに私たちは誇りを持っており、私たちの団体名にも堂々と『聾』を使っている」と説明する。
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「1300年祭」マスコット作者、HPで批判意見(産経新聞3月7日)
2010年に奈良県で開催される「平城遷都1300年祭」のマスコットキャラクターのデザインに批判が殺到している問題で、マスコットを制作した東京芸術大学の籔内佐斗司教授がメールで寄せられた批判意見に回答、自身のホームページにその内容を掲載している。 籔内教授が回答したのは20件以上におよぶ意見について。「気持ち悪い」といった批判については「第一印象に好き嫌いが出るのはやむをえないことと思いますが、なんとかご理解頂けるよう、努力していくつもりです」などと応じた。また「シカの角が生えた童子」のデザインに決めた理由にも触れられ、感情的な意見に対しては冷静に事態を見守るよう呼びかける内容となっている。
国宝・彦根城築城400年祭の「ひこにゃん」やのじぎく兵庫国体の「はばタン」といった、人気の高いマスコットとの比較については「他の既存のキャラクターとの比較は、私は興味がありません。なぜなら私は、このコンペのために制作したからです」と反論。デザイン料、著作権料の500万円という金額については「著作権収益の全額譲渡も含んだ金額ですので、新規のロゴマークやキャラクターのデザイン料としては妥当な金額」との認識を示した。
寄せられたメールのなかには、コンペにあたって籔内教授を指名した広告代理店や、選考に関わった事業協会に対して向けられるべき苦情も多く、籔内教授が苦言を呈する一幕も。
同マスコットは、奈良県などでつくる事業協会が2月12日に発表、愛称の募集を開始した。ネット上でその存在が知れ渡るやいなや「気持ち悪い」「仏に対する侮辱」「子供が泣き出す」などの批判が噴出。また、デザインを一般公募しなかったこと、選考に市民が関われなかったことにも疑問の声が挙がっている。
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