平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

あいつはずるい  〜吉本隆明を読む

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 ひとつ前の「脳内探訪」は、写真だけアップしてコメントが未だだけれども、忘れないうちに書いておきたいことがある。
 
 今の時代、思想家・吉本隆明を読む若者なんかまずいないだろう。いるとしたら、よほど偏屈オヤジみたいな奴か、ゼミで嫌々読まされている程度のことだろう。
 きょうも大学生七人が集まっている席で訊いてみたところ、そもそも吉本の名前を知っている学生は、たったのひとりだけであった。そんな程度のものかとちょっと驚いたが、まあ、現実はそんなものなのだろう。60年代、70年代と、「片手にマルクス、片手に吉本」の時代はとっくに終焉を迎えているのかもしれない。時代の中でいつもバッシングを受けてきた吉本だが、このところ、そのバッシングの対象にすらならないのだから。
 かくいうわたしも世代的にオンタイムではなく、そのために吉本の直接的な洗礼は受けなかったが、しかし、周りの先輩たちの騒ぎに巻き込まれつつ半眼で拾い読みだけはしてきた。
 マルクスやサルトルがいったん時代の中で抹消され、だが、時代が変わるたびに引っ張りだされるように、良くも悪くもこれだけ時代に影響を与えた人物は、きっとこれからも、節目節目に顔を覗かせるだろう。間違いない。
 その吉本リューメーが『13歳は二度あるか』(大和書房)という本の中で、こんなことを書いている。きょうはそれを引用しておきたい。


 「『あいつはずるい』と非難したり『俺はこんなに真面目にやっているのに、どういうことなんだ!』と騒いだりする必要はありません。自分だって、いつか似たようなことをやるだろうから、今日はあいつの分もやっておこう、ということぐらいに思っておけばいいのです」 (中略) 「ぼくは今でも、大勢で何かをやるときには、この方法に限ると思っています。仕事についてもそうです。『絶対にさぼっちゃいかん』『俺がやっているんだからおまえも同じだけやれ』ということに固執すると、雰囲気は冷たくなるし、いずれ仲間割れということになってしまいます」。 


 これが道徳本やハウツービジネス本の一節ならまだしも、「あの吉本隆明」の言葉かと思うと、かなりショッキングだし、また新鮮だ(それだけきちんと吉本を読んでこなかった証拠かもしれない)。
 もちろん、この吉本発言をさらっと読み流してもらってもかまわないが(たぶんそうされるだろうが)今、ここで各々が考えなければならないとても大事な問題を孕んでいるとおもわれる。
 わたしは道徳を説く人間ではない。もちろんそれにふさわしい人間でもない。それは自分自身がいちばんよく知っている。だが、そのわたしの琴線に間違いなく触れた言葉なのだ。
 万が一、これが、さらりと受け流されたとするなら、それはハイデガーの云うところの、単なる「読み手の〈自熟〉〈時熟〉が交流していない」と言うことに過ぎないだろう。ただそれだけのことである。

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