平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

日々学ぶ  〜テレビの生放送&ゴルフの話

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 静岡英和短期大学の大洋和俊先生が、「枕草子の担い手」という論文を送ってくださった。このところそれを鞄に入れてずっと持ち歩いていた。
 大洋先生は先日はじめてお会いした折に、本論文に「セイゴーさん」の編集目線を取り込んだとおっしゃるが、「外在する視点 〜語りと書くことの相克」は、もはやそこを離れて大洋流の大胆な編集目線に仕上がっている。
 わたしはむしろ、この論文から情報意匠論が、埋もれてしまった卒業論文をいかに再編集するかということを学ばなければならない。そうしてこの件は、更に詳しくこの場に書かせて頂く日が来るに違いない。

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 学ぶことが多い。ある一線を越えなければ学ぶことはできない。虎穴に入らずんば虎子を得ず、ということだ。実際にその「現場」に足を運ばなければ学べないことが多くある(あまりにも当たり前のことを言っている)。それを昨今ではカッコーよくフィールドワークといったりする。要は「現場」である。よしんば、ここを批判するどんな人も常に「現場」に立てるとは限らない。
 テレビというメディアもその一つだ。画面のこちら側にいると見えてこないたくさんのことがある。
 反省の連続である。スタッフはゲストだからと遠慮があるだろうが、わたしもディレクションする側に立つことが多い。よって、自分のおおかたのミスは自分でつかみ取れる。
 本番では隣りにずらりと並んでいるベテランと呼吸を合わせる、たったこれだけのことが今の自分には難しい。もしかすると他人からはそつなくこなしているように見えるかもしれない。そうして、わたしは話のプロではない。だからこのぐらいでいいのだ、といってしまえばそれで済ますことも可能だ。しかし、それでいいの〜?ともうひとりの自分が詰め寄る。プロではない何某かの「節度を持った話し方」が必ずあるはずでしょう〜、と。この「節度を持った」というところがポイントだ。これはメディアといっしょに考えることでもある。それはやや曖昧な言い方だが「花のかんばせ」に学ぶということだ。

近藤英恵アナウンサーの日記に・・・(タイトル『近藤英恵 めざ☀パロにっき』の上にある「バックナンバー」をクリックして№109へGO!)
http://www.sut-tv.com/hanahana/index.html

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 情報意匠論を最初に履修してくれた卒業生から連絡をいただき、急遽ゴリゴリゴリゴリと時間の空白域をつくる(すみません、O編集長 原稿半日遅れます)。で、気付けば夕刻からスタートを切ったマラソントークは、河岸を変えながら明け方の三時をまわる(例の件、心配してくれてありがとう)。

 また肝胆相照らす仲の高校の友人たちと夕方から夜中の一時過ぎまで話し込む。わたしがひとつ前の日記に思い切り書いたケータイに対する自らのコメントをちょっと反省。
 話のきっかけはゴルフと宗教の関係。ちなみにわたしはゴルフも宗教もその一派を持たない。二三度打ちっ放しに遊び、苦しいときの神頼み、といった程度だ(しかし、ゴルフというスポーツはわたしが知らぬ間にとんでもなく面白い局面を迎えているのですね〜。感心しました)。
 席を同じくしたY名くんが、中嶋常幸のツアー中のケータイのエピソードを持ち出したことがきっかけで、後半戦はキリスト教について一色となる。詳細は次回に譲るとして、丁々発止を繰り返すも、反省することしきり。

 頂き物のロイヤルコペンハーゲンで、おいしい珈琲を淹れながら、締め切りの原稿を一気に二本書き上げる。本が満足に読めないことを除けば、うん、ほぼ満足な日常じゃ。

※ 〈追記〉Y名くんから許可をいただき、彼からいただいたメールの一部をアップします。  
 
 「当時好きだったゴルフをTVで観ていたとき、クリスチャンである中嶋常幸プロの場面が中継されました。当然その頃の私は中島プロがクリスチャンであることは知っておりましたが、プロゴルファーと言うのは毎年の成績で翌年試合に出られるかどうかの資格(シード権)を得て、勝たなければ収入のない厳しい世界です。以前はサイボーグと言われ決してミスをせず幾度も優勝をして、数人しか得られない資格であるいつでも試合に出られる永久シード権を持っておりました。その中嶋プロが数年優勝できずにおり久々の優勝争いをしておりましたところ、最終日終了間近のホールでアドレスをして打つ瞬間ギャラリーの携帯電話が鳴り中嶋プロがアドレスを解き「電源を切っておいてくれないか」と強い口調で依頼しました。明らかにギャラリーのマナー違反ですが、直後自分のキャディーに「俺の携帯じゃないよな」と場の空気を和ませました。携帯電話を鳴らしたギャラリーは救われたのではないでしょうか。とてもではないが1打で数百万円も収入が違うプロの世界では目の色が代わり、攻撃的になるのは当たり前です。しかし、それをギャラリーに罪を着せずユーモアにもって行くなんて普通ならとても出来ません。強く感動しました。結局その試合は優勝できず2位で終了しましたが、私の中では何年ぶりかの優勝のチャンスを逃して残念と言う気持ちより、心に染みた試合として残りました。確か、その数ヵ月後別の試合で優勝したと記憶しています。」

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